考えてみれば、このオーストリア・ハンガリー帝国が戦争のきっかけだったな。
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国南部のサラエボで、セルビア人のテロ青年たちに、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公とその妻が暗殺された「サラエボ事件」が起きた。
当時は大きかったオーストリア・ハンガリーが、小さい隣国のセルビアを独立させなかったからだ。反抗になるだろう。
セルビア人の元印刷工のテロ青年ネデリュコ・チャブリノヴィッチが手榴弾を投げ、セルビア人の木材工場の元工員のテロ青年ガヴリロ・プリンツィプが拳銃で射殺した。捕まった青年たちは尋問で、暗殺に使った武器はセルビア政府から支給されたと自白した。
この事件が原因で、オーストリア・ハンガリーが1914年7月24日に最後通牒をセルビアに送り、開戦した。それに乗じて、フランス攻略をもくろんでいたドイツが突然参戦した。1914年8月2日にロシアに宣戦布告、翌8月3日にフランスに宣戦布告して、隣国のベルギーに侵略し、ベルギーを突破して、フランス国内に侵攻した。
1914年9月5日には、パリ近くのマルヌ川まで進軍した。
それに対応して、マルヌ川でフランスとイギリスの遠征軍が迎え討って戦闘が始まり、「マルヌ会戦」が起きた。第一次世界大戦が始まったんだよ。
戦域はここまで拡がった。
たった数人の、ただのテロ青年たちの行動で、未曾有の大戦争が始まったんだよ。
海もあったよ。地中海と大西洋で、イギリスに向かう船をドイツの潜水艦Uボートが無警告で攻撃した。貨物商船や豪華客船5,300隻以上が撃沈された。
ドイツは完全に無差別テロだったな。
当時の映像あるよ。