beechyのIt's My Life ブログ

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ピンクのバスクリンに浸かっているような安らぎに出会う旅

Amebaでブログを始めよう!

おかげさまで 年末年始は自分に向き合う時間がたっぷりありました


落ちて、落ち…もとい、掘り下げて、掘り下げて

辛くて、辛くて

何回もやめたいと思いながら、何故かまた向きなおす


なんでやろう、

なんでやろう?

なんでなんやろう?

…なんで?


その苦しい循環から一生抜けられないんじゃないかと思った、

その瞬間

と、触れた


あ、

私は、愛し愛される人生を歩みたいのだと


これは普通の事かも知れんけど

常識や当たり前の事と言われるかも知れんけど

いや、もっと、ほんまに、 そういうことだと


これはとても確信があった

だって この瞬間

からだの細胞がいっせいに躍動して

その振動で、からだ中を涙が走り、潤して沁みていくようだったから



広く深い泥水のなかでもがきにもがいて

やっと水面に顔を出して息をしたような

スタートと書いてある場所に立ち、快晴の下

どこまでも先へ続く道がはっきりと見えたような

そんなビジョンだった


先が霞み、途方もない時間を感じさせるその道は

これからの旅の長さ、過酷さを

容赦なく思い知らされる気がして

怖いと感じた

さあ、私は、行くのか?やめるのか?


今まで愛し愛され下手で来た私には

この道は眩しすぎて、とても過酷に思えた


なんで?


だって、今まで愛や感謝というものの、

本質を知るのが怖かったから

最初のほうの部分で十分だとしていたから


なんで?


得ても失うのが嫌だから…?


いや、本質の愛は、時間軸なんてないんだ

意図的ではない、自然と湧き出る愛に、苦しみも期限もないんだ

湧き出る愛のリフレクションで愛されるんだ

愛は常にそこに満ちてる


そう思ったら、

目の前に続く道が消えた

時間の長さを感じなくなった

つい一秒前まで苦しんでいたことや、物質的な悩みが

優しく溶けていった



あー時間って、こういうものなのね

世界がぷりっと剥けた

瑞々しい



さて、

やっとゼロからの出発

あとは

一瞬一瞬、思い出すことだ


人間は忘れるのが仕事って

聞いたことあるなあ

毎秒忘れて

毎秒この瑞々しさを

初めてのようにからだに心地よく響かせられる

ってなんか幸せ

それも人間の特権なんかな

日本語って、普段あんまり意識しませんよね。


世界には、世界共通語の英語では渡れない国が、まだまだ山ほどあって

例えばそれすらも新しい歴史、

実は彼らですら失った古代の言葉も、山ほどある


あるきっかけで、とある国の古代語にとても興味をもち

じゃあこの国は?これは?

好奇心がどんどん広がって

調べまくったこの年末年始

まぁ そもそも失われつつある言語

検索するのもなかなか大変でした


そして、偶然たどり着いた、

縄文の言葉 というカテゴリ


灯台下暗し


日本語ってめっちゃローカル言語やん、どこにも通用しいひん

つい先日そう言った弟の声が片隅で響いた



ほんまや、にほんごって、どんな歴史があるんやろうか?

ためしに軽く読んでみた


日本語は漢文化にだいぶ影響されたイメージがあったけど、

漢字はツール的役割で

実は、今も私たちは縄文からのことばを使っているってこと



なんか、すごいなあ~

ごくごくあたりまえかもしれんけど、

学校で習ったかもしれんけど、

大人になって、毎日そんなこと意識してなかったから


しかも平安時代とか、刊行物が残っているような時代ではなくて

なかなか資料の少ない、縄文時代からのにほんご

改めて言葉のの意味、語源を知るのは

それは、自分が、にほんじんであること

自分のルーツを知る気分だった


今まで私は、子供のころから

海外に対しての興味がものすごくて

だからか 今も割と海外の事に触れる機会は多い

なんで日本人なんやろう、と思ったときもあったけど

この、当たり前のように使っている日本語のおかげで

今、本当に、腑に、にほんじんの血を感じた気がした



ダーリンに、日本語を喋ってくれないと言われ続け、ウン年

今や彼はもう諦めている

なんで、彼の前で日本語喋れへんのかなあ?

周りの国際カップルは、ほとんど逆

なんで、あんなに流暢な日本語をパートナーの前で喋れるんやろ?

私はこんなに気恥ずかしいのに


あ~

自信、みたいなやつ?

なかったんかなあ

外にばっかり意識が向いてたから

自分の事を知らなかったのかな

自分が、なんなのかを


そして、その なに を

彼が愛してくれているのかを


彼が帰国したら、

日本語で迎えてみようと思います。

うわー恥ずかしいけど


これも、自分を知る第一歩だ

今年のテーマ、早速動かします。

新年明けました。

今年も、 マイペースに心の旅、 ぼちぼち巡っていこうかと思っております。

よろしく御願いします。




私の今年の正月は、静かに流れると思っていました。


そんな思いとはうって変わり

正月だからか、親族との交流に触れました。

いつもの距離とは違う、特別の雰囲気。

実は意図していなかったとしても。



普段は互いにあえて連絡を取らない、弟との久々の再開から、彼の本心の一角に触れたり。

偶然家に泊まることとなった叔父さんの、意外なカミングアウトだったり。



二人の話は、何か私に助言を求める雰囲気がありました。


これは、私のただの驕りなんだろうか。

いや、少なくとも叔父さんは、

   お叔父さんなのに

   「助けて欲しいねん」 と

酒の力を借りて、涙ながらにそう言った。


では今、私に何ができるのだろうか。


いや、特に何ができるということはは思っていないけど



無意識に、しがらみや立場を超えて 私になにか答えを求められた

私は 今その立場にいるのかと、

それをおごることもなく

むしろそれが私への今の課題なのかと

自分を顧みてみたり



周りの環境なんかをある程度知っている、身内からのカミングアウトは

また特殊な感覚で



ん~まあ

どんなシチュエーションでも

そのたびに

自分に返るしかないねんけど



話の中で おもむろに出た言葉が

一瞬でも彼らを楽にしたのなら

それでラッキー

そのおもむろな言葉が

自分の今からの経験につながるのなら

それでラッキー



何かを伝える。

伝えるって一方的な雰囲気じゃなくて

空間を読んでその場に最適な言葉を生む感じ。

あぁこれは、そんな生半可に紡ぐもんではないぞと。



なにより、

今回で私自身が、より親戚とのつながりの事を意識するようになったのは

それがラッキー?



つながりって

自分から いろんな方面から

蜘蛛の糸のように 互いに

フワーっと広がって大きくつながってるんやなぁ



なんか話それた気がするけど

それた分も全部ひっくるめて

総体的に、

色々感じる事がありました。



親戚、友達、クライアントさん

関係なく

みんなが今年も平穏でありますように


これクサいかな~(^_^;)

でも、ふんわりとそう思ったので書いとこ。