がん保険の給付に必要な診断書が必要になった。もう治療が終わった大学病院へ行く。用件終了後に時間があったから、昨年、入院していた病棟へ行ってみた。長い廊下を行かねばならない。今の体力で歩くのはほんとうにしんどい。スーパーにあるようなショッピングカートを押しながら行く。途中にあるベンチで休憩しばし行う。
昨年、入院していたとき看護師さんたちに大変おせわになった。その御礼が言いたいと思った。最後の機会である。しかし、病棟は基本、現在も面会は禁止である。
病棟は中にある受付からの操作で開け締めされる。用件があるときは、インターホンで行う。看護師さんに挨拶したいと伝える。入院患者との面会ではなく、また最後の面会ということで、許可が出た。
緩和ケアになったので、外来でも泌尿器科へ来ることはなくなった。それとは別の呼吸器の外来も、担当医が別の病院で診ることになった。もう大学病院へ来ることはない。
一番お世話になった看護師さんが、運良く勤務中だった。会ってもいいと言ってくれた。看護師さんに緩和ケアとなったと伝えると、「がんばれ」とかの励まし、「大丈夫だよ」という慰めなどは言わなかった。
看護師さんはそっと寄り添って、背中をさすってくれた。わたしの話に、「うん、うん。そうだね」と言いながら。
看護技術にある「タッチング」である。深い安心感が生まれる。言葉よりも伝わるコミュニケーションである。赤ちゃんの時、母親からされた古い記憶が蘇るのか。さらに動物としてのコミュニケーション、スキンシップも脳の深い部分にあることだろう。
数分で、看護師さんのナースコールが鳴った。
もう、お別れだ。
さようなら。
帰りの長い廊下をまた、休みやすみしながら歩いた。ずっと涙が止まらなかった。
……………………………………………………
以前、元・職場で同僚だった人が、亡くなっていたというのを、ひと月以上後で知った。病気だったらしい。たまに仲が良かった人たちと会ったり、電話で話したりしていたのに、驚いた。いつも元気な人という印象があったから。
体調が悪くなっていたなら、なんで言ってくれなかったんだろう。誰も聞いていなかった。言いたくなかったと思われる。入院していると、すっかり弱った自分の姿を見られたくないなあという心理は起こる。
ただ、知らなかった者の〈喪失感〉は引きずる。ご存命のうちにお別れがしたかった。できれば、死ぬ思いを共有したかった。
という訳で、来年になったらぼくはもう居ないんだよ、という押しつけキャンペーンをやっている。

最近、小学校の同窓生が6人集まった。今まで同窓会は一度もいかなかったくせに、ごく親しかった2人に何人かに会いたいといったら、集めてくれた。50年ぶりの人もいた。最初、誰かわからんのが、おもしろかった。ただ何十人も集まる同窓会は行く気がしない。もう人が多いのは嫌だ。
余命1年くらいとカミングアウトした。ほとんど反響なかった。ふーん、そうなの、という感じ。というのは、同級生はどんどん死んでいってるから。あらら、悲運のヒーローにはなれんかった。もうこの歳になったら、友人が亡くなることは日常なのである。そー、だったんか。
で、これから〈毎月〉数人程度の同窓会をやることになった。人選はその日に来れること。人数は10名以下に限る。意外に、少なからずの人が地元に住んでいた。または、帰ってきていた。人生において同じ時間を共有したのは数年ほどであっても、なぜか不思議な安心感がある。なぜなんだろう。もっとも、今さら会いたくない人もいるだろう。