今年は最近好きだという洋菓子と商品券を贈りました。
お酒を飲まない父なので、いつも何がいいのか迷います。
本当は現金を贈って好きなものを買ってもらうのが1番楽なんだけど、そうすると使わないんですって…
お年玉を含め私があげたお金は全部とってあると、去年母から聞きました。
私が生まれてすぐ生みの母は大病をし奇跡的に助かりましたが、二つ上の姉は父の実家に、私は母の妹の家に預けられていたそうですがその時の記憶はありません。
幼稚園の遠足の写真に母と写っているものがありましたが、小学校の入学式の時にはもう母はいませんでした。
一つだけ強烈に記憶に残ってるのは母が家を出ていった日の事。
父と母が激しくケンカをしていて、逃げようとする母が私の名前を呼び「おいで!」って…
その時父は灯油をかぶり片手にライターを持っていて、
私は動けずただ泣いていた。
それから5年後、母は見知らぬ土地で死んだと知らせがきました。
自害でした。
父と姉との3人の暮らしは楽しい事など一つもなく、潔癖で体裁を気にする父はいつも怒ってばりで恐怖でした。
姉は父のいないところで私に暴力をふるい、私に裁ちバサミを投げつけて足に刺さったり熱湯をかけられたりもしました。
「殺される~」私の悲鳴で近所の人が駆けつけた事も何度もありました。
姉も子供ながらに病んでいたのかもしれません。
私は小学校を卒業するまでオネショが止まらず、ほぼ毎日…
その度父に激しく叱られ、父に見つかるのが怖くて、下着が濡れたまま学校に行くこともありました。
学校では「臭い」「汚い」と言われバイ菌扱いされてた。
ある日の夜、私は姉と父と祖母に押さえつけられ、腰にお灸を二つ据えられました。
オネショのツボみたいでしたけど。
この火傷の痕は、思春期の頃の私をひどく苦しめ、その後づっと父を恨んで生きてきました。
恨みが極限に達した時、もう親なんていらない…
父にそう言った。投げやりではあったけど、
この時やっと親離れをし、自分の足で人生を歩き始めたのだと思います。
そして何年かの年月が流れ父は穏やかになり、あれほど助けて欲しいと願った時は助けてくれなかったのに、私の人生の節目節目でお祝いやサポートをしてくれるようになりました。
朝学校に行く前、父が蒸しタオルで私の寝癖を直し三つ編みを結ってくれてたこと。
栗をひろいに山に入った時、スズメバチの巣を見つけ私を抱きかかえ逃げてくれたこと。
私が自殺未遂をしたときに病院の傍らで何も言わず涙を流していたこと。
中学の時、露天商をやってる人たちのたまり場に入り浸ってる私を「連れて帰ります!」とむかえに来てくれたこと。
私の心が変わってから見えてきた父の姿。
お酒もギャンブルもしないで真っ黒になって働いて、1円も無駄にしなかった父。
私は本当にこの親の子供なんかな?と思うほど、立派な父なんです。
長々と失礼いたしました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。