前回の続きです。
前回は、オロロンラインの羽幌町で終わりました。
隣町の初山別村から始まります。
初山別村の金毘羅神社です。入口です。
金比羅神社は、みさき台公園(金比羅岬)の下にあります。
昔、この岬に流れ着いた金毘羅様の御札を地元の漁師が奉った後、この付近での海難事故が減ったと言い伝えられています。
中に入ります。
海の中に建つ鳥居に重なる夕陽は、絶好のシャッターポイントですが残念ながらそれまで待てません。
宇野牧場のソフトクリームです。有機牛乳のもこもこソフトです。400円。濃厚です。
宇野牧場は、北海道の北西部にある天塩町にあります。 日本海の潮風と、雄大な野山に囲まれた、厳しくも自然の恵みに溢れた土地で、放牧酪農をしています。
サロベツ湿原センターです。
湿原センターの中は、展示棟などでサロベツ湿原の形成の歴史や自然がわかりやすく紹介されています。
サロベツ原野から利尻富士をみようと思いましたがあいにくの天気で全く見えませんでした。
写真は借りてきました。
いよいよ稚内です。岬は、ノシャップ岬と宗谷岬があります。
ノシャップ岬です。
ノシャップとは、「岬のそば」「岬がアゴのように突き出たところ」というアイヌ語、「ノッ・シャム」が語源となっています。
眼前には秀峰「利尻山」と花の浮島「礼文島」、サハリンの島影をも一望することができ、夕暮れ時には地平線に沈む夕日が感動的な情景をつくりだしています。
天気も悪いのでホテルにいきました。
サフィールホテル稚内に泊まりました。
ホテルの窓から稚内港北防波堤ドームが見えました。
「埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年(1931)から昭和11年(1936)にかけ建設された防波堤です。
古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。
半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年(1978)から3年間、全面的に改修工事が行われました。」稚内観光情報より)
「氷雪の門」の像
「正式名称「樺太島民慰霊碑」である『氷雪の門』は、高さ8mの望郷の門、雪と氷の中で厳しく生き抜き、そして敗戦の失意から再びたくましく立ち上がった人々を象徴する高さ2.4mの女性像からなります。
かえらぬ樺太への望郷の念と、かの地で没した幾多の同胞の霊を慰めるため、昭和38年(1963)8月に建立されました。」(稚内観光情報)
「九人の乙女の像」です。
終戦直後の樺太で、ソビエト軍の侵攻の状況を電話で伝え続けた後、自ら命を絶った真岡郵便局9人の電話交換手の像です。
1968年9月5日、昭和天皇と皇后は稚内市を訪問し、氷雪の門と九人の乙女の像の前で深く頭を垂れた。後日宮内庁よりその時の感銘を和歌に託したことが公表されました。
御製「樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねせまりくる」
御歌「樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと たゞいのりぬる」
小平町の「三船遭難慰霊之碑」に引き続き道北の地は、樺太に近いため悲しい歴史があるのをつくづく感じました。ブログを書いていて涙ぐんでしまいまのした。
最後までご覧になりありがとうございます。
まだまだ続きます。
←よろしかったらクリックお願いいたします。
にほんブログ村