保阪正康の「昭和史 7つの謎」を読みました。その中で特にソ連の北海道占領計画がありビックリしました。
この本は、全部で7つの謎から成り立っています.。
第1話・・・日本の<文化大革命>は、なぜ起きたか?
第2話・・・真珠湾奇襲攻撃で、なぜ上陸作戦を行わなかったのか?
第3話・・・戦前・戦時下の日本のスパイ合戦は、どのような内容だったか?
第4話・・・<東日本社会主義人民共和国>は、誕生しえたか?
第5話・・・なぜ陸軍の軍人だけが、東京裁判で絞首刑になったか?
第6話・・・占領下で日本にはなぜ反GHQ地下運動はなかったのか?
第7話・・・M資金とは何をさし、それはどのような戦後の闇を継いでいるか?
番外編・・・昭和天皇の「謎」
今回は、興味のあった第4話・・・<東日本社会主義人民共和国>は、誕生しえたか?を取り上げたいと思います。
1990年代に入り、ソ連邦が解体されるにつけ、各種の資料が明らかになってきました。著者は、そうした資料の一部を入手しました。その中に、敗戦後の日本の運命は、ソ連のスターリン、アメリカのトルーマンの胸の中にあったと言っています。
即ち、スターリンは、トルーマンに対し、「ソ連が領有したい地域は、千島列島と北海道北部を包含せしむべく、この区域は、釧路より留萌に至り両市を含む線をもって画定」したいという事であった。
線を引けばよかったのですが、引き方がわららず申し訳ありません。釧路から留萌の斜め線になると思います。上がソ連領、下が日本領となり、ドイツと同じ形態になるという事です。
トルーマンは、「千島列島に米軍及び民間の航空基地の設置と日本本土はマッカーサーへ降伏する事になっているので認められない」と断わった。
8月14日にポツダム宣言を受諾して日本が降伏したわけだが、8月8日のソ連の「かけこみ参戦」にトルーマン自身の反撥があったようです。
スターリンは、千島列島の航空基地は、認めないとし、日本占領は、諦めた。しかし、諦めた代償として、本来ならポツダム宣言に基づいて捕虜を日本に送り返さなければならないのに、シベリアへ連れて行き、シベリア開発のための労働要員とすることと赤化思想を鼓舞して日本に送り返す事とした。60万人の日本人がシベリア送りになった。そのうち5万8千人が死亡した。
日本を占領するにあたって、何とソ連が仙台以北を管理したいと申し出てきたが、アメリカは、断った。ソ連の軍事力は不要であると明確に通告した。
それにしても、あの時期、ソ連の言いなりになっていたら、ドイツ、朝鮮、ベトナムといった分断国家になっていたかもしれないしれません。
最後に著者が「歴史とは、独裁者の思惑一つでどうにでも動き庶民、はそれに振り回されるというのが正直な姿かもしれない。」と述べています。
この事実を友人は知っていました。
わりと有名のようで知らなかったのは、自分だけかもしれませんがとりあえず紹介させてもらいました。
今のロシアのウクライナ侵攻を見ても、あまり好きになれないロシアです。
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