netflixで映画「西部戦線異状なし」(2022年)を見ました。良かったです。反戦映画です。
エドワード・ベルガーが監督
2022年ドイツ映画netflix提供
内容(netflix)
「第一次大戦開戦から3年が経った1917年の春、ドイツ北部。17歳の青年パウル・ボイマーは祖国ドイツのために戦おうと、学友のアルベルト・クロップ、フランツ・ミュラー、ルートヴィヒ・ベームとドイツ帝国陸軍に志願入隊します。
ドイツとイギリス・フランスをはじめとする連合国との戦いが続く「西部戦線」まで25キロの距離にある、フランス北部のラ・マルメゾン近郊に配属されたパウルたちは、自分たちが所属するドイツ陸軍第78予備歩兵連隊の先輩兵士スタニスラウス・カチンスキー(愛称:カット)と親しくなります。
しかし、西部戦線における塹壕戦の凄惨な現実はパウルたちのロマンに満ちた幻想を打ち砕き、ルートヴィヒは配属初日の夜、塹壕を襲った敵の砲撃で命を落としてしまいます。
1918年11月7日。ドイツの政治家マティアス・エルツベルガーはドイツ陸軍最高司令部を訪れ、ドイツ陸軍の参謀総長パウル・フォン・ヒンデンブルク元帥に連合国との休戦協議を開始するよう説得します。
その日の夜中。フランス人女性と一夜を過ごしたフランツは、パウルたちに土産に持ち帰った彼女のスカーフを見せました。
一方ドイツ陸軍のフリードリヒ将軍は、連合国との休戦交渉のため、、エルツベルガーとドイツの代表団をフランス・パリ郊外のコンピエーニュに送りました。
その日の夜。ドイツ軍のフォン・ブリクスドルフ少佐から「フランス軍の全師団がラティエール平原に集まる」との報告を受けたフリードリヒ将軍は、「私は降伏などせん。今こそ全力を持って突き進め」とフランス軍への攻撃を命じます。
その結果、パウルたちドイツ陸軍第78予備歩兵連隊は、フランス軍攻撃の最前線となるラティエール平原へと送られました。
11月9日の朝。エルツベルガーとドイツの代表団はコンピエーニュの森に到着。連合国最高司令官のフェルディナン・フォッシュ元帥への休戦交渉を開始します。しかしフォッシュ元帥は交渉の余地を与えず、72時間以内に連合国の条件をのむようにドイツ軍に通告しました。
一方、パウルたちドイツ軍は白兵戦の末にラティエール平原を一時奪取しますが、直後に現れたサン・シャモン突撃戦車(フランスが開発した初期の戦車)、火炎放射器、飛行機による反撃を受けて敗走。フランツはパウルたちとはぐれ、アルベルトは投降しようとして火炎放射器によって殺されてしまいます。
その日の夜。ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世の退位を知ったエルツベルガーは、ブリクスドルフ少佐を介して、ヒンデンブルク元帥から連合国の条件を受け入れるよう指示されました。
その頃パウルは、部隊と無事合流。ドイツ軍の将校たちが連合国と休戦交渉したため「やっとこの戦争が終わる」と歓喜に湧く仲間たちの姿を目にします。
11月11日午前5時。エルツベルガーとドイツの代表団は、今から6時間後の午前11時に発行する休戦協定書に署名。この休戦の報は、全戦線にいる両軍の兵士たちに通達されました。
戦争が終わったことに安堵し、緊張の糸がほどけてお腹が空いたパウルとカットは、最後にもう一度農場から食料を盗もうとします。しかしパウルが鶏の卵を盗もうとしたその時、農夫の息子が現れ、小屋の中に閉じ込められてしまいました。
何とか自力で小屋から抜け出したパウルは、門の前で待っていたカットとともに逃走。農夫に撃たれたことによって割れた卵を二人で分け合って食べました。
その直後、用を足すためにパウルと離れたカットは、背後に忍び寄ってきた農夫の息子に銃撃されてしまいます。
銃声を聞いて駆けつけたパウルは、重傷を負ったカットを担いで診療所に運びました。しかしカットが腹に負った銃創は小さかったものの、肝臓に当たって臓器不全を起こしてしまっていたため、衛生兵に診せた時にはすでに息絶えていました。
さらに、「ドイツ軍の勝利で戦争を終わらせたい」と考えたフリードリヒ将軍は、戦争終結に喜んで方々に散っていたドイツ兵たちを一堂に集め、11時までにラティエール平原を奪還するよう命じます。
午前10時45分。パウルたちドイツ軍は着剣したドイツ軍歩兵の主力小銃「Gew98」を持ち、ラティエール平原にいるフランス兵を襲撃。パウルは5人以上のフランス兵を殺害した末に、塹壕の中でフランス兵に銃剣で胸を刺されました。
直後、11時を迎えたことで戦争は終結。しばらくして戦死した味方のドッグタグを回収していたドイツ軍の新兵が、パウルの汚泥にまみれた死体を発見しました。
その新兵は、戦闘中にパウルが敵兵から助けた兵士でした。新兵はパウルの手に握られていたフランツのスカーフを拾うと、自身の首に巻きました。」以上が概略です。
最後にテロップで「西部戦線は、1914年10月から1918年2月までほぼ塹壕戦で、数百メートルの陣地の戦で300万人が死に、第一次大戦で1700万人が命を落とした」とあります。
腹が立つのは、フリードリヒ将軍が自分は戦わずして自分の名誉のため終戦まであと数時間のところ兵士を戦地に駆り出し、無駄死にさせにさせたという事です。
日本も同じように陸軍大学出た参謀が責任取らず戦の指揮をとり兵隊を死なせたようです。この
映画は、1930年に映画化されており戦争の過酷さをドイツ側から描く、アメリカ合衆国の映画としては異色の作品となっています。
今回の映画は、原作者の母国ドイツで新たに映画化した作品です。
主人公が最期、死ななくてもいいのに死んでいくのは、なんとも切ないものがありました。
この映画は、絶対忘れない映画になりました。
最後までご覧になりありがとうございます。
