おはようございますビックリマーク


昨日はダンナもかろうじて間に合い

娘、息子ダンナと親子水入らずで

実家にGO車


その上、ろんと

娘の家のカニンヘン・ダックスの「りんちゃん」

パピヨンの「しゅんくん」の

3匹も同行しっぽフリフリゆっちーチョコ


もうそりゃぁ、大騒動の大賑わい叫び


帰って来たとたん爆睡の、ろんでしたぐぅぐぅ




さて昨日も書きましたが

私には祖父母との思い出が

あまりありません汗


3歳で父の転勤で宮崎から

札幌へ引越し

小学校卒業まで札幌で過ごしたからです。


私の地元は宮崎でも有名な

大根の産地です。

漬物用の大根農家が多くて

その先駆けとなったのが祖父です。


この風景が冬の私の町の

いたるところで見られますコレ
ろんぶーのブログ



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私が生まれた頃、

朝5時には鹿児島から

多くの漬物工場の方が

買い付けに来ていて

朝ごはんをふるまうので

母はとても忙しかったと言っていましたごはん


その当時私が朝起きると

毎朝、祖父は私に当時で100円を

くれていたそうです。


その100円を母は貯めて

私にお雛様を買ってくれました。


お雛様は札幌へは持って行けなかったので

私は見た事がありません。


祖父母の家に置いたままだったのですが

札幌から帰って来た時には

もう父の兄夫婦が古くなってボロボロだったので

捨ててしまっていたそうですしょぼん


祖父は胃がんで60代で亡くなりました。

その時、父の給料では

親子4人で札幌から宮崎まで帰る

お金がなくて父だけが帰りました飛行機


私が覚えているのは

まだ1歳くらいの私に

祖父がどこからか帰ってくる時には

必ずバナナの大きな房や

メロンを抱えていて

私を呼んで食べさせてくれることでしたバナナ


そして腹巻の中から

おさつを出して

イトコたちや私にお小遣いを

くれた事・・・。



母はバナナのほかにも高級ようかんを

買ってきて

タンスの上に隠していたんだよ・・・と

話してくれたことがあります。


そのようかんは誰にも食べさせないで

祖父が一人で食べていたようですうふふ


おぼろげしか覚えていない祖父の顔は

今は実家の仏壇の部屋に

掲げられている写真でしか

わかりません。


でも今も覚えているのは

私を呼ぶ祖父の声なのです。

あの、バナナの大きな房を抱えた

祖父が「○○さ~ん、帰って来たよ」と言う

私を呼ぶ声です。





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