愛知工業大学 | 絵本作家のふらんす語屋さん

絵本作家のふらんす語屋さん

大学でフランス語を担当していて自宅では『論』という教室を主催しています。色鉛筆とパステルで絵を描いたり絵本を描いて書いています。
まるちゃん花壇や畑の様子やうさぎのくうちゃんとの日々の暮らしの想いをつづっています。ありがとうございますMerci♥

Bonjour 

くうちゃんと夕方早めに帰宅できましたので
少しゆっくり過ごせました。

今日は愛知工業大学のラストの日でした。
1999年から勤務した大学でした。
土曜日に畑作業をしているときのことでした。
小学一年生の息子が電話に出て
私を呼びに来ました。
『はじめての声の先生からお電話で
すごく急いでいるみたい‼️』
…と。
当時愛知工業大学の教授でいらした
梶川先生からのお電話でした。
初めてお話する先生でした。
大学に1番早く来られる日の
1番早い時間に来てほしい…と伝えられ
翌日の朝一番に
息子を見送ってから大学に向かいました。
大学に着きましたら
すぐに授業をしてほしい…となりその日から
勤務することになりました。
フランス語の先生方が急にやめられたことで
私にご縁が繋がりました。
勤務してから何年もたった時のことです。
梶川先生と学食で
コーヒーをいただいている時に
マリナ先生の論文の指導教授はどなたですか?
…と聞かれました。
『本城先生です。』
---京都大学の本城先生ですか?
『はい。』

その時の梶川先生の驚かれたお顔は
今でもはっきり覚えています。
本城先生は梶川先生の指導教授でいらして
本城先生の1番弟子が僕なんだよ‼️…と。
そして

あ‼️そうか‼️
わかった‼️
そうなんだ‼️
…と声が弾み
フランス語学会名簿の名前が
僕の名前の前にあったから
先ずは
…と思って
麻里名先生に1番最初にお電話したけど
違うんだよ‼️

本城先生が君を僕に紹介したかったんだ‼️
あ~本城先生から僕は
お願いされたんだね‼️

あ~そうなんだ💗
つながったなぁ💗
…と満面の笑みでした。

それからはあたたかく接してくださって
おられた梶川先生が
ますますお優しく
接してくださるようになりました。
縁は不思議でありがたいものです
25年間あっという間でした。

定年退職までまだまだ十分時間がありましたが
新しい夢のために退職しました。
愛知工業大学での日々すべてに
感謝いっぱいです。
本当にありがとうございました。

4月からは週4日大学
週3日保育園…という生活になります。
水曜日は午前大学 午後保育園…となり
日曜日はおうちデーとなります。
くうちゃんとの大切な日曜日になります。

時間は命ですね💗
愛情を尽くし
ありがとうの感謝の想いをこめて
時間を大切にしてまいります。



愛知工業大学に折り紙の💗がいっぱいありました。
たくさんの💗ハート💓を最終日に見られましたこと
これはメッセージだと思いました。
たくさんのハートを子どもたちに💗💗💗

がんばります
いつもありがとうございます。