「古沢が折れるタイミング」
上山のその言葉は、静かだった。
けれど重かった。
ろみぃは思わず顔を上げた。
「折れるって…」
上山は肩をすくめる。
「人ってな」
「ずっと攻撃され続けると」
「二つのパターンになる」
ろみぃは黙って聞く。
上山は指を一本立てた。
「一つは」
「戦う」
そして、もう一本。
「もう一つは」
「自分が悪いと思い始める」
ろみぃの胸が締め付けられる。
さっきの古沢の言葉が蘇る。
私、邪魔なんじゃないかな。
歳だしね。
上山は静かに続けた。
「古沢は後者だな」
ろみぃは何も言えなかった。
⸻
その日の帰り道。
ろみぃは駅まで歩きながら、ぼんやり考えていた。
どうしたらいいんだろう。
古沢を守りたい。
でも、下手に動くと稲田を刺激する。
それもわかる。
ろみぃは小さくため息をついた。
その時。
ふと、あることが頭に浮かんだ。
仕事を奪う。
課長が言っていた言葉。
稲田が訴えていた内容。
先回りされる。
自分の仕事がなくなる。
ろみぃは足を止めた。
でも。
それって。
⸻
翌朝。
ろみぃはいつも通り9時に出勤した。
フロアに入ると、やはり稲田はもう来ている。
8時出勤。
机の上はきれいに整っている。
パソコンの横に、今日のメモ。
いつも通り。
ろみぃは席に座り、パソコンを立ち上げた。
そして、あるフォルダを開く。
庶務共有フォルダ。
この部署の雑務関係の履歴が入っている場所。
郵便の記録。
備品発注。
来客対応。
いろいろ。
ろみぃは、最近の記録を見ていた。
そこで気づいた。
ある欄。
郵便受取記録。
毎日、誰が取りに行ったか書いている。
ふと目に入る。
ここ数週間。
記録の名前が、ほとんど同じだった。
古沢
古沢
古沢
古沢
ろみぃは少し眉を寄せる。
前は、もっとバラバラだったはず。
誰かが行く。
空いてる人が行く。
そんな感じだった。
でも最近は。
ほぼ古沢。
ろみぃは別の表を見る。
コピー用紙補充記録。
そこも。
古沢
古沢
古沢
ろみぃの胸の奥で、何かがカチッと音を立てた。
⸻
その時。
上山が出勤してきた。
「おはよ」
「おはようございます」
ろみぃは少し声を落とした。
「上山さん」
「ん?」
「これ見てください」
上山が画面を覗き込む。
ろみぃは郵便の記録を指さす。
上山は数秒見ていた。
それから小さく言った。
「ほう」
ろみぃは続ける。
「これ」
「古沢さんばっかりですよね」
上山は頷く。
「そうだな」
ろみぃはさらに言った。
「でも」
「稲田さん、課長に言ってたんですよね」
上山は少し笑う。
「仕事奪われるってな」
ろみぃは静かに言う。
「でも実際は」
少し間。
「古沢さんが全部やってる」
上山は腕を組んだ。
そして、ゆっくり言った。
「ろみぃ」
「いいところに気づいたな」
ろみぃは振り向く。
「え?」
上山は画面をもう一度見た。
「つまりな」
「こういうことだ」
指で画面をトントン叩く。
「古沢は」
「仕事奪ってない」
「むしろ増えてる」
ろみぃは頷く。
「はい」
上山は続ける。
「で、稲田は」
少し笑った。
「仕事が減ってる」
ろみぃはハッとする。
その通りだ。
上山は言った。
「でもな」
「減ってる理由が違う」
ろみぃは息を飲む。
上山は静かに言った。
「やってないだけだ」
ろみぃの背中に、ぞくっとした感覚が走る。
⸻
その時だった。
背後から声がした。
「ろみぃさん」
二人が同時に振り向く。
稲田だった。
いつの間にか後ろに立っていた。
静かな顔。
いつもの落ち着いた表情。
そして言った。
「その郵便の件なんですけど」
ろみぃの心臓が跳ねる。
稲田は続けた。
「実は」
少し間を置く。
「私、課長に相談してまして」
ろみぃは黙った。
稲田の目は、真っ直ぐこちらを見ていた。
「業務分担」
「少し整理した方がいいと思うんです」
その声は穏やかだった。
でも。
ろみぃは直感した。
これは、次の一手だ。
静かなフロアの中で。
何かが、確実に動き始めていた。