高取町(奈良県) | 岡村ビジネスクリニックのブログ

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岡村ビジネスクリニックのブログ-高取観光案内 仕事でいろんな場所に行きますが、ほとんどが日帰りのトンボ帰りなので、観光をする時間的ば余裕はありません。
 そこで、いつも楽しんでいるのは、駅にある観光案内の看板です。これを見ながらバーチャルな観光を楽しんでいます。
 今回は、奈良県の高取町です。
 ここには、高取町はキトラ古墳があり、奈良のくすりの町で、日本一の山城である高取城や壺阪寺があるようです。

キトラ古墳
 直径14m高さ3.3mで7世紀末から8世紀初頭に築造された横口式石槨の古墳です。
 内部の壁画は、天井に星座を表した天文図があります。また、北壁に亀に蛇がからまった”玄武”、東壁に”青竜”、南壁に”朱雀”、西壁に”白虎”と、それぞれの方位の守護神である”四神”が描かれています。
 なお、高取町には、キトラ古墳の他、市尾墓山古墳、束明神古墳があります。

奈良のくすりの町
岡村ビジネスクリニックのブログ-高取町くすり この高取町のくすりの歴史は古く、飛鳥時代の西暦612年推古天皇が聖徳太子や伴を率いて、高取の羽田の山野にて薬狩りを行ったと伝えられています。ここには、豊かな自然に恵まれ薬となる動植物類が、豊富にあったようです。
 江戸時代に入り高取城植村藩主が、江戸参勤の際、他の藩主に薬を贈り全国の販路拡大に貢献したようです。そして江戸中期頃から置き薬として各地を行商して歩くようになったようです。
 明治を迎えると、くすりを得意先に預け置き、次回訪問の時に使用した分だけ代金をいただく「先用後売」という独特な商法を用いた行商が行われるようになったようです。

日本一の山城である高取城
 ”日本三大山城”といわるのは、比高がもっとも高い大和高取城(奈良県)、海抜がもっとも高い美濃岩村城(岐阜県)、建物が現存する中で最も高い山城である備中松山城(岡山県)です。
 ※比高とは、麓(ふもと)から本丸までの高低差で大きいほど一般的難攻不落と考えられる。
 高取城は、元弘2年(1332年)、南朝方に属した高取の豪族、越智八郎が築城。郡山城主となった豊臣秀長の命を受け、天正13年(1583年)に本多氏が入城、近世的城郭として整備された。本多氏が絶えた後、譜代の大名の植村家政が寛永17年(1640年)に入城。明治2年(1869年)の版籍奉還まで、14代に渡り居城した。

壺阪寺
 壺阪寺は、真言宗の寺で、西国三十三所観音霊場の第六番札所です。そして、本尊十一面千手観世音菩薩は、目の観音様として全国から多くの参拝者が訪れています。
 創建は、寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われています。
 壺阪寺は、南に桜の名所吉野山を控え、北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建っています。
 清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げています。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に壺阪寺に宿泊したという記録も残っているようです(1007年)。
 

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