■書評 宮本裕子『フライシャー兄弟の映像的志向: 混淆するアニメーションとその空間』水声社 | 本中毒、映画中毒、仕事中毒、そして...恋愛中毒

■書評 宮本裕子『フライシャー兄弟の映像的志向: 混淆するアニメーションとその空間』水声社

 

 

フライシャー兄弟はアニメーション黎明期の1910~1940に活躍したアニメ作家/製作スタジオ。
1930年代後半~1940年台前半にかけて、ディズニー以外で唯一長編アニメーションを製作できたスタジオでもある。

ディズニーに比べると評価が低いのだが、愛好者は多い。

代表作はインク壺のココ、ベティブープ、ポパイ、『バッタ君街へ行く』、そして『スーパーマン』

 

本書は、そうしたフライシャー兄弟の作品を「異空間との混淆」を切り口に評価し直す野心的な試み。

フライシャーのアニメーションを語る上で、一つの方向性、里程標を確立した力作と言って良いだろう。

お奨め。

 

本書で言う異空間との混淆とは、主に以下の4つの混淆を言う。

  • 絵の空間 ― 実写映画の空間
  • アニメの動き ― ロトスコープ
  • 描かれた空間 ― ミニチュア(ステレオオプティカル)で作られた空間
  • 小人や虫たちの空間 ― 人間の空間

ディズニーのマルチプレーンとかの技術が作品世界の統一感を追求していたのに対し、フライシャーのそれは、異なった表現手法で相互の違和感を際立たせる事で何かを表現しようとしていた。

と言うのが、噛み砕いた著者の主張。 (これは僕の噛み砕き過ぎかな…)

 

この主張に、僕は全面的に賛成。

 

確かにアニメーションが当たり前になってしまった今日的な視点で観ると、ディズニーのシリー・シンフォニーのシリーズはアニメ技術以外は退屈なのに対し、フライシャーの作品は意外性に満ちていて、未だに凄く新鮮で面白い。

世の母親たちはそこにエロスや退廃を敏感に感じ取って顔を顰めるのだろうけれど…

 

<追記>

ディズニーの音楽がクラシックなのに対し、フライシャーのはジャズなのが、そのまま彼らの作品の方向性の違いを表しているのが、当たり前と言えば当たり前、不思議と言えば不思議。