長期休みの秘かな楽しみ
年末年始の休みに入った。
まだ大掃除とか年賀状とかの仕事が残って居るのだが、仕事から一時的に解放された脱力感で、何もする気にならない。
ダラダラとネットをしてしまう。
ネットで何をするかと言うと、Google Mapとストリートビューを使って、自分が子供の頃住んでいた場所への仮想旅行。
転勤族の親を持ったせいで、子供の頃は2年程度の間隔で、全国を転々としていた。
一番短かった場所で8ヶ月、長かった場所で4年。
今年は記憶に残る限り一番古い3歳から4歳の頃に住んでいた東京の立川を訪れてみる。
もう半世紀近く前だ。
実は、大学に入った年に実地を訪れてみた事があるのだが、それから既に30年以上時間が経ってしまっている。
更に、15年ほど前に友人の結婚式で立川を訪れた事がある。
立川駅の周辺はモノレールが出来て、米軍の立川飛行基地だった辺りが公園として整備されていて、大きく様変わりしていて驚いた。
今回は自分の幼少時の記憶を、現在のGoogle Mapに当てはめながらかつて自分が住んでいた場所を探索する。
最初は、Google Mapを開いて途方にくれた。
僕が住んでいた頃は、米軍基地へ燃料や物資を運ぶための引き込み線が立川周辺から出ていて、子供の頃の僕自身はそれを頼りに家の周辺の地理を記憶していた。
しかし現在の地図上には殆どその痕跡が残っていない。
当時は毎日午後三時頃になるとSLやディーゼル機関車が延々と長い貨物列車を引っ張ってその引き込み線を通っていった。
その列車が住んでいる団地の脇を通っていくと、僕は家に帰り、NHKの『おかあさんといっしょ』で『ブーフーウー三匹の子豚』を観るのが日課だった。
母親に連れられて買い物に出かける時も、道路を通らずにその引き込み線の上を道代わりに歩いた。
引き込み線の線路は少し高くなっていて、その土手の両側は野原だった。
見晴らしが良かったので線路の上を歩くのは、とても気持ちよかった。
線路上を歩いても危険は全然なかった。
貨物列車はほぼ定刻通りに来たし、もし線路を歩いている時に列車が来たら、線路脇の土手の斜面へ下りて列車が通り過ぎるのを待てば良かった。
昨年公開された宮崎駿監督の『風立ちぬ』の中に列車が来た時に線路上を歩く人々が脇の土手を下りるシーンが出てくるが、そのままの光景だった。
あのシーンは昭和40年頃の時点、東京でもまだ日常だったのである。
さて目印としての引き込み線が見つからない為、途方にくれた僕は、その引き込み線をネットで探す。
調べると立川の辺りには多くの引き込み線があるのだが、僕の子供時代の記憶にある引き込み線は、立川飛行機引き込み線という引き込み線である事がわかる。
その引き込み線の経路は、現在は北緑地、西町緑地という名称の遊歩道になっている。
これを縦軸にして、その周りの情報を横軸に重ね合わせていく。
まず自身が通っていた幼稚園を検索する。
無くなっているかと思っていたが、Googleであっさりみつかった。
ストリートビューで見てみると、僕が通っていた時のままの建物が残っている…
正面左側に確認できるの体育館(と言うほどのものではないのだが)の小さなドームは、僕が通っていた時に新築で建てられたものだ。
記憶がどんどん蘇る。
この体育館でのお遊戯で、友達は皆スキップができるのに、早生まれの僕はスキップができなかったっけ。
赤は女の色で、青は男の色。なら黄色はどちらというしようのない議論で、僕は男の色。他の男は全員女の色。という見解の相違が発生して、大げんかになったのを思いだす。
住んでいた団地の横に、自動車検査所があって、広いコンクリートの広場になっていた。
休みの日に勝手に、侵入して補助輪付きの自転車を乗り回した。
一部、コンクリートが割れ、地下の暗渠に水が流れているのが見えていて、その暗渠は地の底にある恐ろしい世界に繋がっているのではないかと凄く怖かった…
でも、その周りで自転車に乗るのは何故か平気だった。
団地の北側には自衛隊の駐屯地があって、幼稚園にいつも一緒に通ったYくんは自衛隊員の子供だった。
記憶が蘇ってくると、自分が住んでいた場所はあっという間に特定できて、当時の記憶にある場所が現在どうなっているのか、探索の範囲はどんどん拡がって行く…
まだ大掃除とか年賀状とかの仕事が残って居るのだが、仕事から一時的に解放された脱力感で、何もする気にならない。
ダラダラとネットをしてしまう。
ネットで何をするかと言うと、Google Mapとストリートビューを使って、自分が子供の頃住んでいた場所への仮想旅行。
転勤族の親を持ったせいで、子供の頃は2年程度の間隔で、全国を転々としていた。
一番短かった場所で8ヶ月、長かった場所で4年。
今年は記憶に残る限り一番古い3歳から4歳の頃に住んでいた東京の立川を訪れてみる。
もう半世紀近く前だ。
実は、大学に入った年に実地を訪れてみた事があるのだが、それから既に30年以上時間が経ってしまっている。
更に、15年ほど前に友人の結婚式で立川を訪れた事がある。
立川駅の周辺はモノレールが出来て、米軍の立川飛行基地だった辺りが公園として整備されていて、大きく様変わりしていて驚いた。
今回は自分の幼少時の記憶を、現在のGoogle Mapに当てはめながらかつて自分が住んでいた場所を探索する。
最初は、Google Mapを開いて途方にくれた。
僕が住んでいた頃は、米軍基地へ燃料や物資を運ぶための引き込み線が立川周辺から出ていて、子供の頃の僕自身はそれを頼りに家の周辺の地理を記憶していた。
しかし現在の地図上には殆どその痕跡が残っていない。
当時は毎日午後三時頃になるとSLやディーゼル機関車が延々と長い貨物列車を引っ張ってその引き込み線を通っていった。
その列車が住んでいる団地の脇を通っていくと、僕は家に帰り、NHKの『おかあさんといっしょ』で『ブーフーウー三匹の子豚』を観るのが日課だった。
母親に連れられて買い物に出かける時も、道路を通らずにその引き込み線の上を道代わりに歩いた。
引き込み線の線路は少し高くなっていて、その土手の両側は野原だった。
見晴らしが良かったので線路の上を歩くのは、とても気持ちよかった。
線路上を歩いても危険は全然なかった。
貨物列車はほぼ定刻通りに来たし、もし線路を歩いている時に列車が来たら、線路脇の土手の斜面へ下りて列車が通り過ぎるのを待てば良かった。
昨年公開された宮崎駿監督の『風立ちぬ』の中に列車が来た時に線路上を歩く人々が脇の土手を下りるシーンが出てくるが、そのままの光景だった。
あのシーンは昭和40年頃の時点、東京でもまだ日常だったのである。
さて目印としての引き込み線が見つからない為、途方にくれた僕は、その引き込み線をネットで探す。
調べると立川の辺りには多くの引き込み線があるのだが、僕の子供時代の記憶にある引き込み線は、立川飛行機引き込み線という引き込み線である事がわかる。
その引き込み線の経路は、現在は北緑地、西町緑地という名称の遊歩道になっている。
これを縦軸にして、その周りの情報を横軸に重ね合わせていく。
まず自身が通っていた幼稚園を検索する。
無くなっているかと思っていたが、Googleであっさりみつかった。
ストリートビューで見てみると、僕が通っていた時のままの建物が残っている…
正面左側に確認できるの体育館(と言うほどのものではないのだが)の小さなドームは、僕が通っていた時に新築で建てられたものだ。
記憶がどんどん蘇る。
この体育館でのお遊戯で、友達は皆スキップができるのに、早生まれの僕はスキップができなかったっけ。
赤は女の色で、青は男の色。なら黄色はどちらというしようのない議論で、僕は男の色。他の男は全員女の色。という見解の相違が発生して、大げんかになったのを思いだす。
住んでいた団地の横に、自動車検査所があって、広いコンクリートの広場になっていた。
休みの日に勝手に、侵入して補助輪付きの自転車を乗り回した。
一部、コンクリートが割れ、地下の暗渠に水が流れているのが見えていて、その暗渠は地の底にある恐ろしい世界に繋がっているのではないかと凄く怖かった…
でも、その周りで自転車に乗るのは何故か平気だった。
団地の北側には自衛隊の駐屯地があって、幼稚園にいつも一緒に通ったYくんは自衛隊員の子供だった。
記憶が蘇ってくると、自分が住んでいた場所はあっという間に特定できて、当時の記憶にある場所が現在どうなっているのか、探索の範囲はどんどん拡がって行く…