昨日は能登半島地震発生から1カ月の日でした

もう1カ月も経ったことに驚きです

地震が起きて

一瞬で日常の生活が奪われました

 

(石川県帰省 二日目)

朝起きると、

外はどんよりした厚い雲

能登半島には

「弁当忘れても傘忘れるな」

そんな教訓的な言葉があります

 

 

 

それは、

弁当なら忘れても

誰かからもらったりできるけど

天気が急変して

何時雨が降るかわからないから

傘はいつも持っていた方がいいびっくりマーク

そんなような意味合いです

 

正にその言葉を思い出すような空でした

 

朝ごはんを食べて

最初に向かったのは私の母の実家

私の実家から徒歩5分くらいのところにあります

私の叔母と従弟夫婦が住んでいます

 

 

その家は、

昔ながらの家で

お正月やお盆やお祭りでは

仏壇のところで集まり

食べたり飲んだりしました

その家がぺしゃんこになったと聞いていました

 

 

その家に着くまでに

道の両側に並ぶ家が

潰れたり傾いたり

戸が外れていたり

ガラスが割れていたり、、、

 

道が空いていないのです

倒れた家や崩れた瓦

道の真ん中まで覆っていました

 

その間を縫って

おばあちゃんの家に着きました

 

 

本当に

家がペシャンコになっていました

信じられない光景でした

瓦も柱もガラスも戸も

がれきの山になっていました

 

がれきの中に

あの仏壇も埋まっていると聞きました

 

唖然として顔がこわばる私に

「なんや、お前の顔は。元気出せ~や。

しゃあないやろ。なるようにしかならんから」

従兄弟は、そう言って笑いました

 

 

また励まされた私でしたニコニコ

 

 

その後、

実家へ

実家までの道

知っている方の家ばかりです

ほぼ全てが住める状態ではありませんでした

 

割れたガラスの向こうに見える部屋

部屋の中は壁が落ちていたり

家具が散乱していたり

 

ようやく実家へ到着

兄夫婦は他県へ避難しているので

誰もいません

 

外側から見るとそんなに被害がないような、、、

もしかしたら大丈夫かも、、、

そう願いながら中へ入りました

 

実家は、

私が子どもの頃住んでいた古い部分と

15年位前に新築した新しい部分があります

 

 

古い部分に入ると

壁は何カ所も崩れていました

両親の位牌がある仏壇は

中身が飛び出していました

家も傾いていると思いました

 

新しい部分に行くと

まだ新しい家なのに

壊れているところは少ないのに

戸が開かないところがありました

 

「あれ?ここも傾いてる?」

そう感じたので

ペットボトルの蓋をおいてみました

力を入れていないのにコロコロ転がりました

 

私の家が建っている土地が脆弱地盤らしいのです

自分の家がダメになるなんて

考えても見ませんでした、、、

 

兄に

「長くいると崩れると困るからな。気をつけて」

そう言われていたので

もう出ることにしました

 

もう一度仏壇のところに行きました

位牌はないけれど

両親のことを思って手を合わせました

 

次に来るときは

この部屋も家もないんだな、、、

そう思うと

辛くて泣けてきました

 

 

その後

我家の墓地へ

地域の人のお墓が集まっている集合墓地です

 

 

お墓が、、、

たくさんのお墓の石塔が崩れていました

あんなに重い石が落ちるのですから

どれだけ大きい揺れだったのかわかります

 

お墓って崩れるんですね

それに驚きでした

 

 

両親が入っているお墓は

石塔は大丈夫でしたが

石でできた花入れがお墓から落ちていました

 

お墓で手を合わせ

「お父さん、お母さん、踏ん張ったね。

石塔落ちんかったね。お兄ちゃんとお姉ちゃん

応援してあげてよ。頼んだよ」

早口で言って

その場を去りました

 

 

その夜

みんなでご飯を食べながら

「明日気をつけて帰ってね」

「わたしらも頑張るから、頑張りまっし」

私は、またまた励まされました

 

 

明日は金沢駅で

大学時代の仲間に会います

 

 

     三日目へ続きます