誰のために勉強するのか?
思春期の頃から 何度か考える機会があったと思います。
いま 改めてこの問いに付いて向かい合って考えてみる機会がありました。
学校で習う勉強に意味があるのか?
学校は勉強を教えるところなのか?
学校は考える力を養うところなのか?
十代のころには学ぶのは、「将来のためだ。」「自分のためだ」「お金をかせぐ道具」など自分に必要かどうかについて疑問や答えを求めるところで悩みがちです。
ここで 一歩話を進めて大人としてどのような理由で勉強してください。というメッセージをとどけるか?
それについて話し合う授業をとおして感じたことをまとめてみたいと思います。
題材に使用した資料は 朝日新聞の『声』(2002年1月10日)
[私に問いかけ 12年前の手紙] 高校生小川なつき(宮崎市、18歳)
抜粋
「がっこうのべんきょうもがんばってください。
べんきょうをがんばるのはひとにかつことではありません。
おとなになったとき、よわいひとのたちばにたってものごと
をかんがえるようになるためです。つよいということは、
よわいものをいじめることではなくよわいひとのためにたた
かえることです。つよくやさしいひとになるためにべんきょうしてください。」
当時小学1年生の子供に届けたメッセージにとても共感しました。
将来のためになるということは不幸の反対側にいるために必要なことだとぼんやりわかる
ここで自分の将来で必要なことは・・・
人の役に立つこと、人の気持ちを組める人、強いということは弱い者に力をかせるやさしい人になること。
自分の存在とは人に必要をされる存在であるのかを実感できるかどうかであるということに気づくまでの
知識をどれくらい持てるかということになるのかと思いました。
自分のため 将来のため = 人を助ける 人に喜んでもらう
別の考えではなくて 同じ意味として、別の意味も含んでいると理解として取り入れること
時代の流れで変わる必要なものに対応していろんな事を学び続けて行く必要があるし、
先人の方々は一生勉強とよく言ったものだと思いました。
がむしゃらに
勉強の意味を知らずに勉強する
必要で勉強する。
勉強するってやっぱり自分のためになるからやれるという考えに 悪意を感じることはないし、
自分のために学んだことを人に伝え広げることができる段階ができるということに感謝して
さらに新たに学んだ人が使いこなして社会に役に立てて報酬に変わる
そんな学びに価値をもっていきたいと思いました。