子供の頃の娯楽といえば映画。YoutubeやアマプラやNetflixなんて何もない時代。

映画館に行けるなんて年に1度か2度。映画を観れるのは家のテレビ。

一番上の兄貴がこれは凄いと言って一緒に観せられたのがキャンディス・バーゲンが出ていた「ソルジャー・ブルー」

インディアンが虐殺されるシーンは確かに酷かった。だが、この映画でキャンディス・バーゲンを好きになったので思い入れのある映画。中学に上がったころからは音楽にのめり込んでロック三昧だったが映画は相変わらず好きでいた。特にヤードバーズはストーンズやビートルズ以上に好きだった。ヤードバーズのバンド名がチャーリー・パーカーから来ていることくらいは当時から知っていたが、肝心のチャーリー・パーカーはまだ聴いていなかった。中学時代の同じくロック馬鹿の連れとよくチャーリー・パーカーてどんなんかな?と話をしていた。その頃丁度テレビでルイ・マルの「好奇心」をやっていたので観ていたらその映画の主人公(俺らと同じくらいの年頃)がなんとチャーリー・パーカーを聴いているではないか。劇中にも吹き替えではなくチャーリー・パーカーの音楽が流れていた。映画の内容そっちのけでその流れてくる音楽を夢中になって聴いた。翌日連れにその話をするとそいつも観たという。何かようわからんけど、チャーリー・パーカーって凄い!というのが連れと一致した意見。

それからチャーリー・パーカーを家で聴くため連れとレコ屋へ走ったことは言うまでもない。

パーカーのレコードにはマイルス・デイビスというトランぺッターがもれなく付いてきた。じゃあ次はマイルス・デイビスを聴かねばならんと思っていたところにまたテレビで「死刑台のエレベーター」をやっていたので観ていると、なんともハードボイルドなカッコいいトランペット。そうこれがマイルス・デイビス。パーカーの横で吹いているときのマイルスとは随分違った。

中学も終わりの頃になるとコルトレーンも聴きはじめた。そんなこんなでジャズにものめり込んでいった中坊であった。

ただ、やっぱり正直に言うとわからないものもあった。特に1曲が異常に長いものになるとよけいにどこがいいんだがわからない。そんなときにジャズが使われた映画のサントラの尺は持ってこいだった。ジャズ・メッセンジャーズの「危険な関係」は曲の長さも適度だし曲も解り易かった。こうやって難しいジャズを映画を取っ掛かりにして克服していった。ロリンズのアルフィー、MJQの「大運河」などなど・・・確かに今聴くと物足りなさは否めないが当時はこれが丁度良かった。

 

今はあまり聴くことが少なくなったシネ・ジャズだが、時折初心に帰りたくなってシネ・ジャズに手が伸びる。