2010年の秋から始まりました。
私がルイジの名前を知ったのも2010年でした。
それまでは、
イタリア・オペラのロメオとジュリエッタと
シェイクスピアのとは
何故違うのだろうの疑問に終始しているだけでした。
今、イタリアではなんと!
シェイクスピアこそ
イタリア人だった説を唱えている人もいます。
確かに面白い説です。
イタリア人にしか分からない事をよく書いてある
のだそうです。
私には、
そんな程度でない、違和感が働いたのです。
しかし、その頃は
原作者がいると考えには至らなかった。
これまでの8年の間に、
イギリス人研究者と北イタリア、
そして日本の私はリンクしていたようです。
さて、
ロメオとジュリエッタは
ヴェローナだろう?と定着していますが、
ヴェローナにはもちろん、モンタギュー家が
存在していました。
モンタギューの言い方は英語圏です。
実際、イタリアではモンテッキの名前の貴族がいました。
ヴェローナとヴェネツィアをつなぐ道の中心地
には、
モンテッキオ・マッジーレ市が今でもあり、
モンテッキの拠点だったと定着しています。
*このブログには
旅〜モンテッキオ・マッジーレがあります。
正にこの地域のことです。
東側の町Sovizzoからの撮影
では、キャプレットはどうかと言うと
カッペレッティの名前が貴族としてでなく
残っています。
カッペレッティはカペラ、教会を意味する言葉に似ています。他に、髪の毛を表すカペッリ、帽子のかッペリオなどがあります。
傭兵が被る帽子が家紋だったカッペレッティは
商業的成功者で傭兵を売り買いしていたのでは
との説もあります。
しかし、余り信憑性がないことも分かってきています。
モンテッキオ・マッジーレの瓦礫の城跡から
ルイジは様々な資料を集めます。
モンテッキもルイジの家系も”鷲”が紋章。
小さなことかも知れませんが、
共通項を持つことは、共感に発展するのでは
ないでしょう。
写真〜モンテッキオ修復記録集より
サヴォルニァン家事情を伺うに、
実は、サヴォルニァン家はある時期に疎遠、
敵対意識が芽生え、現在までも状況が変わらな
親類関係があるのです。そのこともとても大きな
共感になったのだと思えます。
私が招かれたサヴォルニァン家の
古城の立つ敷地には、その家柄が二つ建てられ居住もしています。
実は、世界中こうした二軒が近くに住んでるなんてよくあるようです。
現在のご当主。
似てるかな?