Romeonista

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定番ヴェネツィア旅

3月24日から26日と3月31日から4月2日に滞在。

前日までアクア・アルタだったらしい。
まだ痕跡は残っていましたが、、


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ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅を降りると、
定番のこの景色。

ヴェネツィアは別世界だ。
久々に来たー。
やっぱり良い!

今回はのんびり歩き。

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まだ、朝晩の冷え込みある3月24日
朝寝になるかと思っていたが、
体が軽いので電車に飛び乗る。
来て良かった!。

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ゴンドラ見るだけで嬉しい!

ヴェネツィアで嬉しいのは
ファブリックにクラシックなショー・ウィンドが
あること。
だいぶ少なくなっと残念。

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今回は
ヴェネツィアン・レースを専門店で一枚、
クッションカヴァーを色と素材違いで一枚づつ
購入。 
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この店に立ち寄るのが楽しみ。
ただ、沢山あった店舗数が減り
今回は昔からある場所が二軒。
ヴェネツィア風のシェードが布で作られていて
魅力的だったー。
グラスは持ち運びが難しいが
それなら持ち帰り易い。
すこし、アジアンテイストな今年、
また行きたいな^^


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自分土産はそれのみ。


インターネットでも買える時代だけど
観る楽しみは現地の喜び(^^)。


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夕暮れになったが、
春はいつもここで花見🌸。

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やっぱり、いい広場

もう少し歩き回る
私の旅は
2010年の秋から始まりました。
私がルイジの名前を知ったのも2010年でした。

それまでは、
イタリア・オペラのロメオとジュリエッタと
シェイクスピアのとは
何故違うのだろうの疑問に終始しているだけでした。

今、イタリアではなんと!
シェイクスピアこそ
イタリア人だった説を唱えている人もいます。
確かに面白い説です。
イタリア人にしか分からない事をよく書いてある
のだそうです。

私には、
そんな程度でない、違和感が働いたのです。
しかし、その頃は
原作者がいると考えには至らなかった。


これまでの8年の間に、
イギリス人研究者と北イタリア、
そして日本の私はリンクしていたようです。

さて、
ロメオとジュリエッタは
ヴェローナだろう?と定着していますが、
ヴェローナにはもちろん、モンタギュー家が
存在していました。
モンタギューの言い方は英語圏です。
実際、イタリアではモンテッキの名前の貴族がいました。
ヴェローナとヴェネツィアをつなぐ道の中心地
には、
モンテッキオ・マッジーレ市が今でもあり、
モンテッキの拠点だったと定着しています。

*このブログには
旅〜モンテッキオ・マッジーレがあります。
正にこの地域のことです。
                                  東側の町Sovizzoからの撮影

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                       左、ジュリエッタ城。右、ロメオ城
                        

では、キャプレットはどうかと言うと
カッペレッティの名前が貴族としてでなく
残っています。
カッペレッティはカペラ、教会を意味する言葉に似ています。他に、髪の毛を表すカペッリ、帽子のかッペリオなどがあります。
傭兵が被る帽子が家紋だったカッペレッティは
商業的成功者で傭兵を売り買いしていたのでは
との説もあります。

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                                 ロメオ城にて撮影2018.3

しかし、余り信憑性がないことも分かってきています。

モンテッキオ・マッジーレの瓦礫の城跡から
ルイジは様々な資料を集めます。
モンテッキもルイジの家系も”鷲”が紋章。
小さなことかも知れませんが、
共通項を持つことは、共感に発展するのでは
ないでしょう。
                    写真〜モンテッキオ修復記録集より
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まして、ルイジの父も、本家は大いなる名誉をいただく貴族ポルト家。母も現代まで続くウーディネの革新的貴族サヴォルニァン家。

サヴォルニァン家事情を伺うに、
実は、サヴォルニァン家はある時期に疎遠、
敵対意識が芽生え、現在までも状況が変わらな
親類関係があるのです。そのこともとても大きな
共感になったのだと思えます。

私が招かれたサヴォルニァン家の
古城の立つ敷地には、その家柄が二つ建てられ居住もしています。
実は、世界中こうした二軒が近くに住んでるなんてよくあるようです。

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ロベルト・サヴォルニァンさん。
現在のご当主。

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ルイジの肖像画、
似てるかな?



北イタリア・ヴェネト州にある
ヴェネツィア、ヴィチェンツァ、ソヴィッツォ、
モンテッキオ・マッジーレ、モントルソ
さらに、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の
ウーディネをめぐって来ました。

旅して来ましたーと言うより、
真実を探しに行ってきました。

沢山のスピリチュアルな出会いやスポットに
遭遇しながら集大成になりました。

私が探していたのは
あの”ロミオとジュリエット”の原作者探しです。
多くの人は
シェイクスピアが書いたと思い込まれていますが、戯曲化したのは確かにシェイクスピアですが、実は原作者がいるのです。

長い間、探していました。

イギリス人研究者の論文も権威ある
ヴィチェンツァ・テアトロ・オリンピコ文化協会でも発表されています。
しかし、イタリア語の論文やその裏付け資料は
目にすることはできません。

彼は昨年亡くなりました。

今回、
それらを所有している協会を探し当て、
とうとうコンタクトを果たしました。

             私の右は
              協会の会長ラウラ氏と 
              副会長で騎士の称号をお持ちの
               マウリツィオさん。
             左の方は地元のジャーナリスト。


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        教会前の敷地に白い線が描かれていますが、
        サヴォルニァン家跡を示しています。

話なんて
誰が書いても良いじゃない?
しかし、
内容は大きく違います。

原詩を知った私には、衝撃的なものです。

原詩を知ったことや、
背景が未だ残る現地の空気に触れることで、

更に、
やっぱり皆さんに知って貰いたいと感じ
実行します。

ここでは、
とりあえず、旅日記で
ご紹介します。

先ずは、

原詩を書き残したのは、
ルイジ・ダ・ポルトと言う名の青年大将。

ポルトの父は、ヴィチェンツァに住まう貴族ポルト家の出身ながら余り豊かではない。その父はフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の古い家柄の貴族 サヴォルニァン家から妻を娶る。
二人には三人の息子に恵まれるが、
若くして両親は亡くなってしまった。長男は家を継いだが、二人の弟達は親戚筋をたらい回される
そんな道しか残されていません。
不憫に思った母方の叔父アントニオ・サヴォルニァン、または父方の叔父などがマントヴァへの移動を提案する。

さて、母方のサヴォルニァン家は現在の
ウーディネ市にその足跡が残されている家系だ。
サヴォルニァンの家紋がそのままウーディネ市の
市章になっているほど、この市でのサヴォルニァン家は多大な影響力を持って、現在も末裔の方がくらしている。

                    今回は非公開の市庁舎にある
                   市章旗を見学させていただきました。

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史実と貴族間の争い、
なぜルイジはこの物語を書くことになったのか
などを確認しに行ったのです。

                        サヴォルニァン家の屋敷と古城跡

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                   この城は要塞として活躍しました。
                  現在は多額の資金で修復中。

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大歓待を受けてしまいました。

新聞に我が名前が、、、。

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コンサートも有りました

ライフ・ワーク
“真実のロメオとジュリエッタを求めて”

原作者 Luiji Da Porto ルイジ・ダ・ポルトについて、Udine ウーディネ  (フリウリ・ジュリア)に行くことになりました。
協会からご招待を受けました。
いよいよです。
ポルトの生涯と、最愛の人との非業の別れ、
ポルト家の鷲の紋章は、モンテッキ家(モンタギュー家)との共通。
更に ロメオがジュリエッタの希望で身を置いたマントヴァはポルトを庇護してくれた留学先。
彼が失意の中、歴史に隠された愛の物語を
形にしたかった思い。

彼から全てを奪った戦争での負傷は、
孤独な人生を生み出しつつ、
最大の共感を見つける。

書いたものが形に成るを見ずにこの世を去るが、
ダンテの残した無念を200年後引き継ぎ、200年後
につなぎ、オペラとなり、また200年の現代、
私は関わる。

あーそんな
ポルトの青春を観に行ける!


旅の準備をはじめました。

昨日 1月11日にはパワーがある
スタートする力に満ちています。

そんな日には
たくさんの事を決め、
Gooしました。
始まるのです。

ひとつ目が旅です。
私の旅は国内旅行も海外も
全てがつながっています。

生まれる前の記憶を確認する旅を
皮きりに、
繋がってきた奇跡の道です。

さて、昨年亡くなられたイギリス人研究者。
亡くなられたことで存在を知った。
会いに行くのはイタリア🇮🇹。

勿論、本人に存命中にお会いしたかった。
しかし、その意志は繋がっているはずと
考えだした。
数日前、情報が入った。
後継者たちがいる。
会いたい。
話しを聞きたい。


だから、旅たつ。

すでに送られてきた資料には
またまた新たなワクワクが見えた。

なんとも凄いワクワク、、
あー幸せ。

あぁ、これ書きたい。
書きたい症候群のが過去からワープしてくる。
“この事”自体がそうした運命で運ばれて来た
のだから当然だ。
その上、その頃は上司の圧力で
全てを伏せねばならず
隠れ、隠して来た。
全てがリンクして
いま、ここで私の中で一つになったんじゃ
ないのか!

たくさんの人に知ってほしい。

言いたいことがたくさんあったんだろうな。
私の中の何かが、
もう黙っていられない!と。
頼むって・・・感じ。

分かったよ!
分かってたよ!
って言ってあげました。

私にできるなら、
いや、
私にしか出来ない。

そう、感じたわけです。

だから、
やるのです!

旅にでます。

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2018.1.11の光