目に見えないものを信じるのは、とても難しい。

 

難しいけど、
何気なく信じている事は沢山ある。

 

今年の運勢とか、前世とか、
ソウルメイトとか、運命の相手とか。

 

だけど、願う様にはいかない毎日や、
心をすり減らす人間関係や、切実なお金の問題、家族の幸せが遠くに見える時、
失った愛を思う時。

心は、いつの間にか目に見えないものを疑いはじめる。

 

自分にしか感じる事ができない「何か」を感じ取った時、
自分の人生を生きる「手掛かり」を見つけたみたいで、

たしかとても嬉しかったのに。

 

人は、手掛かりなしでは人生を生きていけない私は思う。

 

だけどやっと見つけた小さな手掛かりは、

紙くずのように小さく頼りない。


いつも大切に持っていなければ、
ゴミと間違って誰かに捨てられてしまう。

 

小さくてしかも目には見えないのだから、疑うのも無理はない。


だけど、自分の人生を生きるには、
その紙くずを集めていくしかないんだ。

 

ずっと握りしめている訳にはいかず、
たまにはどこかに置いておく事になっても、
飛ばされないように誰かに踏まれない様に、
大切にしまっておかなければいけない。


人がゴミだと思っても私だけが宝物だと知っている。

 

 

私は占いが大好きだけど、
それは、占いが目に見えないものだけの世界だからだと思う。
目に見えている私の現実なんて、まったく無視した占いの見解は勇気をくれる。

 

占いの世界は、いつでも真剣に堅苦しいくらい真面目に、

私の不安や悩みに寄り添ってくれる。


「好きな人が私をどう思っているのか」


「死んだ猫は死ぬ間際どんか気持ちだったか」

 

そんな答えなのない幼稚な質問に、30分もかけて真剣に答えを探してくれる。
それはもちろん、お金を払って占いに行ってるのだから、

当然のことといえば当然のことだとは思う。


でも逆に言えば、お金を払わなければ、

そんな議論が出来る場所なんて他にないのだ。


友達に相談すればいいのかも知れない。
もちろん友達は話を聞いてくれるだろう。

だけど彼の気持ちについて、死んだ猫について、真剣に議論する事になるだろうか?


どこかで「大した悩みではない」と話す方も聞く方も思っている。
16歳じゃないし、28歳でもないのだから。

 

「朝までテレビ」で、世界の政治の話しでもするみたいに、

難しい顔をしながら、恋のことや猫の話しをする事がごく「普通」だとしたら、
私たちの心は、どんなに軽くなるだろう。

 

好きな人が私をどう思っているのか?
死んだ猫は幸せだったのか?


それはこの国の総理大臣が誰になるか?

 

と、同じくらいかもっと大事な時がある。

 

と私は思う。