私は恋をすると、すぐに深く愛したくなってしまうたちだ。
ほどほどというものを知らず、細部まで愛してしまう。
恋をして、愛してしまうまでに2週間もあれば十分だ。
それが正し愛なのか、偽物の愛なのか、それは私にも分からない。
気持ちはすぐに伝えたくなるし、最初から駆け引きなんてしない。
自分だってもちろん傷つきたくなんてないけど、彼にはもっと傷ついて欲しくないと思う。もっとも私に彼を傷つける影響力があるのかは分からないけれど。私の当たり前が彼にも当たり前だったらすごく良いけど、だいたいそうではないから、私の当たり前を知って彼が傷つかないように、嫌な思いをしないように、私は私の当たり前を隠す。あっという間に宝物になってしまった彼を傷つけない様に。
出会ったその日に恋に落ちたとしたら、その次の日にはすでに愛している。
だけど私はいつもその溢れる想いを心にしまい込まなければならない。
なぜなら、性急な愛の告白など誰も求めていないからだ。
だいたいそんなもの信用出来るはずがない。
私だってすぐに人を愛する男なんて疑う。すぐに人を好きになる人なんてそう簡単に信用する訳にはいかない。そんなの恋に恋をしているだけなんじゃないの?って思う。私じゃなくてもいんじゃないの?だいたい私の何を知ってるの?普通にそう思う。
じゃあ私はどうなのか?私も恋に恋をしているだけなのか?
私の場合は違うんだ。とは言わない。私だって所詮恋に恋をしているだけなのかもしれない。自分の不足を補う為に恋をしているのかもしれない。
自分だけは違うと、証明出来る方法がない。
なにはともあれ私は今、おそらく何年かぶりに恋をしている。
だけど彼のことなど、ほとんど何も知らない。だいたい2回しか会ったことがないし、2回とも私は酔っ払っていた。彼が私をどう思っているのか、私には分からない。毎日メールをくれるのだから、嫌いではないだろうけど好きかどうかは分からない。
だけど、私の毎日は確かに輝きだした。
彼が私をどんな風に思っているとしても、毎日メールをくれるという事は、少なくとも彼の毎日に私が居るという事だ。
朝起きたら、少なくとも一度は私を思い出し、仕事が終わればまたもう一度思い出す。誰かに一日二回も思い出してもらえるという事は、なんて生きる力になるんだろう。でもこんな事を思っているのを彼が知ったら、引くだろうか。笑うだろうか。気持ち悪いと思うだろうか?
メールが生きる力になんて。
正確に言えば、メール自体が生きる力になってる訳ではない。
私が嬉しいのは、彼が意思を持ってメールを続けてる事が分かるからだ。
なんとなくで続くものじゃない、と思う。
それはもはや、毎日愛の告白をして居るようなものじゃないか?と思うのに、そんな事は認められない。この世界では好きだとか、愛しているとか、明確な言葉にしなければ思いは伝わらないし、感じとってもいけない。
愛してると言われてもいないのに、きっとこの人は私を愛してくれているだろうと感じる事など許されない。
きっと愛しているという言葉の意味を誰も理解していないのだ。私たちはもっと人を愛したっていいのに、簡単に愛してはいけない風潮が私を苦しめる。異性でも同性でも年上でも年下でも構わない。考えすぎも、期待も、責任もない。ただ愛されていると感じてもいいじゃないか、と思う。
明日、突然メールが来なくなったとしても、少なくとも今日までは私を愛していたのだと、そう思う事は何かの罪になるだろうか?許されない自惚れなのだろうか?それは自惚れなんかとは違うのに、違う事をみんな知らんぷりする。もちろん私もだ。知っていたはずなのに、恋をして小さなバケツに顔を突っ込んでしまった瞬間、まるで忘れてしまう。
私たちは傷つくのが怖いから、素直に愛を受け取ることが出来ない。
昨日はああ言っていたし、今こう言ってるけど明日どうなるか分からない、と。常に昨日の記憶と未来の不安に囚われている。今、私に触れる彼の手の温かさを感じることが出来ない。それは確かな温かさだというのに。
だから私たちは常に言葉を求めている。愛を感じているのに、それは容易に信じてはいけない危険物としてもれなく無視する。
とは言え、そんな風にメールをする事だけで愛していると伝えられるのは、恋人になる前だけだ。恋人になってしまえば、毎日のメールは義務になる(場合が多い)。一緒に住んだりなんかしてしまえば、その機会はほぼ皆無になる(と私は思う)。だから私は恋人に連絡を強要する事ができない。それが後々、自分の首を絞めることが分かっているから。お早う、のメールが嬉しくなくなってしまうから。この人は、私に自分の朝を知らせたくて連絡しているのではなく、後でうるさく言われたくないからしている、と思ってしまうのが嫌だから。
だから、「愛している」というのは恋人たちの為の言葉だ。
言葉にしなければ分からないのだから。
私たちは、いつも目に見えないものが見えない。見えないふりをする。
見えていないふりを決め込めば、悩む事ができるから。悩めば、解決できる気がするから。だから大抵の悩みは解決ができない。そもそも悩みじゃないから。ただ、見ればいいだけのことだからだ。
愛する彼が、愛していると言ってくれることをひたすらに待つ。愛しているなら「愛してる」と言うはずだと決めつけたうえで、自分からは言わないというスタンスをとる。
彼の肌の温かさと、彼の部屋の窓から感じた外の空気を、
一旦どこか遠くに追いやって愛を探す。
すでに見つかっている愛を、どうやって探すというのだろう。