暗い
暗い
暗い
出して
誰か
この世界から
出して
この世界を
壊して
「壊れろっ!!!」
悲鳴に近い声を上げて、らんすはベッドから飛び起きた。
部屋には、煌々と明かりが輝いている。
彼女は暗い場所が極端なほど苦手だ。そのため、眠るときでさえ明かりをつけていないと落ち着かないのだ。
額の汗をぬぐうと、落ち着け、落ち着け、大丈夫だ、暗くない、だから、怖くなんて無い、と何度も口の中で繰り返す。
「らんすちゃん、大丈夫か?」
ふと気づくと、ピエロが不安そうな表情(もっとも、表情全ては見えないので口元だけをみた印象だが)を浮かべて横に立っていた。
「怖い夢を見ただけだよ、昔の夢」
「その怖い夢が問題なんだろう。夢の中じゃ守ってやれないんだから」
その口調があんまりにも真剣なので、少しだけらんすは笑ってしまった。
心外だ、と言いたそうなので、ピエロに向かって手を伸ばした。
「怖いから寝るまでそこにいてね」
「それでいいのなら、そうするよ」
軽くピエロは手を握ってくれた。悪魔には人間と同じような体温がないせいか、ひんやりとしている。
それでも、昔から慣れ親しんだ感覚に、らんすは落ち着いて、また元のように眠ることが出来た。
ピエロは、彼女の寝顔を見ながらぼんやりとつぶやいた。
「まだ忘れられないんだなぁ。困ったもんだ」
「らんすちゃーん、おはよーござーいますっ♪」
明るいよく響く声でらんすは目を覚ました。
カーテンを引く音を寝ぼけた頭の端で認識する。
部屋の明るさは大して変わらないが、太陽の光がまぶしい気がした。
窓のところに、にこにこと笑いながら立っている女性が見えた。
ゆるくウェーブした髪を、ゴムでまとめてポニーテールにしている、ジーンズと白いシャツのよく似合う活発そうな人だった。
「おはよーございます…蓮華さん…」
吉祥蓮華(きっしょう れんげ)。ルゥの知り合いの一人で、同居人のひとり。
家事が好きで世話好きのため、自然とみんなの母親代わりのようになっている人だ。
実際には彼女は結婚すらしていないので、以前らんすが「蓮華さんてお母さんみたい」と言ったら「独身女性にそういうこというかなぁ、らんすちゃんたらっ☆」と言われた。
「もぅ、皆ねぼすけさんばっかりねぇ。早く着替えて台所にいらっしゃいね。今アイザック君が、ダンテ君を起こしに行ってるから、皆そろってご飯にしましょーっ!」
「はぁい」
そのときだった、どこかの部屋から悲鳴が聞こえてきたのだ。
らんすの表情が、一瞬にして険しくなる。
「今のはっ…」
それに対して、蓮華の表情は先ほどと変わらない。
「アイザック君の声みたい」
「何かあったんじゃ…」
「何かあったんでしょうね、たぶんダンテ君が部屋にトラップでも仕掛けてたのよ。昨日私が箒でたたき起こしたら、怒って『絶対誰も部屋に入れなくしてやる』って言ってたから」
ぽかん、とした表情でらんすは固まった。
それは、完全にアイザックはとばっちりではないのだろうか。
「さぁ、らんすちゃんいつまでも布団に入ってないで。はやく支度してね」
蓮華の笑顔を見て、らんすは何も言わないことに決めた。
世の中には、あまり触れないほうがいい話題もある。これもそのひとつなのだ。
朝食の席で、明らかにアイザックは不機嫌そうにしていた。
当然だろう。善意から他人の手伝いをしたら、ひどい目にあったのだから。
「悪いなぁ、アイザック。まさかお前が来るなんて思わなかった…」
「あぁ、悪かったよ。本当に最悪だ。部屋に入った瞬間催涙ガスなんて物騒なものを吹きかけられるとは思ってなかったからな」
「こんなに上手くいくとは思わなかった。でもちょっと効き目が薄かったな」
「お前反省して無いだろう」
「らんすちゃんは今日一日どうやって過ごすの?」
諸悪の根源戸も言えるはずの、蓮華がのほほんとした声で聞いてくる。
いいのかなぁ、と思いつつもらんすはアイザックとダンテを気にしないようにして、今日は街を歩いてみます、と答えた。
まだ、この街に引っ越して日は経っていない。気になっていた店をめぐってみるのも楽しいだろう。
「それはいいわねー」
蓮華は無邪気な笑顔でそう言った。
夕方になって、屋敷へ戻った所、門のところに誰か立っているのにらんすは気づいた。
見慣れない男だった。少し癖のある黒い髪、黒いサングラスをかけているので目から表情は読めないが、少し微笑んでいるように見える。見たところ、30歳には届いていないようだ。
何をするでもなく、門の前のところに立っていて、らんすはちょっと気味が悪い、と思ってしまった。
早く通り過ぎよう。
そもそも、知らない人というのは苦手なのだ。
らんすが男の横を通り過ぎようとしたそのときだった。
「こんにちは」
柔らかで、穏やかな声がした。どこか、ルゥの声と雰囲気が似ている。
その声がその男のものだということに気づくのに、時間は要らなかった。
そこで、無視して通り過ぎればよかったのだが、その声には穏やかながらも「答えないことを許さない」といった種類の、圧倒的な響きがあった。
らんすはおそるおそる男のほうを見ながら答える。
「こん…にちは」
「呼び止めちゃってごめんね?急いでたかな?」
そう言いながら、男はらんすの目の前までやってきて、視線を合わせるように軽くしゃがんだ。
「大丈夫…」
「そう、よかった。君はそこの家のお嬢さんかな?」
「何だ、お前は」
男の声に、ピエロが現れて答える。自分の視界の端に、いつもの黒い影が入ったことで、らんすは少しばかりほっとした。
「あれ?悪魔だ。君、悪魔使いなの?小さいのにすごいねぇ」
男は、ピエロが突然現れたことにもまったく動じず、むしろ楽しそうにそう言った。
逆にピエロのほうが、こんな反応をされたことに少し動揺しているようである。
「別に誘拐とかじゃないよ。ちょっと頼みたいことがあっただけ。そうだね…名前も名乗らないのは僕としたことがちょっと失礼だったかなぁ。僕は月船。月船歪(つきふね ひずみ)。…君は?」
「桐江…らんす」
「キリエ?」
月船はちょっと不思議そうに首をかしげた。
どうしたのだろう、とらんすが怪訝そうに眺めると、なんでもないよ、という風に手を振る。
「気にしないで。それより、ちょっと伝言を頼んでもらっていい?」
「誰に?」
「君たちが“ルゥ”と呼んでいる者に。僕の名前を出せばすぐにわかってくれるだろう」
「伝言は?」
「『僕の準備は整った』これでわかるよ。彼はとても賢明だから」
「わかった、じゃあ。これで」
らんすは、それだけ言ってくるりと踵を返し走り出した。早くここから立ち去りたかった。用事を受けたのも、話を長引かせたく無かったからに過ぎない。
「どーしたんだ?らんすちゃん」
ピエロが、不思議そうに尋ねる。
「あの人、何か怖い」
らんすは、少し震えた声で言った。
「ふーん、悪魔使いの癖に『キリエ』…ね。皮肉というかなんと言うか」
くすくす、と笑いながら月船は少女の後姿を見送る。
月が輝き始めた夕方のことだった。
続く
注:キリエ…キリスト教の礼拝における祈りのひとつ


