本当にお別れ(父の話⑮) | ドット ラ ロマンティラ

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火葬場で、ついに父の体とお別れです。

 

いつも実家に行って帰る際、兄が車で送ってくれる時は、

父は道に出て「オーライ、オーライ」と車の誘導をしてくれました。

そして、私は車の中から手を振り、父も手を振って見送られました。

 

電車で帰る際は、母がいつも自転車で駅まで送ってくれるのですが、

その際、父はお留守番なので、門の所で手を振ってくれます。

私が曲がり角を曲がる前に、もう一度振り返ると、

また父が手を振ってくれます。

 

いつもお別れする時は、バイバイ!と手を振っていたので、

棺が閉まる時も、その棺がとうとう火葬炉に入り、

扉が閉まっていく時も、無意識に手を振っていました。

 

お父さん、ありがとう。

バイバイ。

 

母は「おつかれまでした」と言っていました。

 

 

そして、お骨になって、小さな壺に納められてしまったのですが、

意外と、不思議にも、そんなにダメージはなかったです。

 

無事に葬儀を終えました。

 

 

家に帰ると、葬儀社の方が後祭壇を設置してくれて、

遺影を置き、お骨を置き、お供え物を置き、ぼんぼりを置き、

四十九日まではその祭壇を使うそうです。

 

 

全員が全員、100%言われたのが、

「お母さんの側にいてあげてね」

「お母さんを大事にしてね」

「お母さんをみてあげてね」

 

母は「とにかく、お葬式までは頑張らなくちゃ」

と言っていたので、お葬式以降、ガクッときちゃうのか!?

 

 

一度、母がブチ切れたそうです(兄から聞いた話)

 

ご近所の木村さんのおじさんが本当に素晴らしい方で、

すいすい車に乗ってフットワークが軽く、

あれこれあっという間に解決してくれるので、

それに比べて、うちのお父さんは・・・

 

という傾向がありまして(特に母はそう感じていた)

 

しかしですよ、いなくなってから気付くというもの!

父はしっかり、あれやこれや、してくれていた!!

 

兄が「最後にコレ使ったの誰!」と言ったのは、

灯油をストーブのタンクに入れる時の自動給油ポンプ。

 

父がいつも灯油を入れてくれていたので、

母が初めて自動のポンプを使うこととなり、

使い終わった際に、スイッチをオフにしなかった為、

電池が切れてしまって、使えなくなっていた事に兄が気付いたのでした。

 

「知らなかった」と母。

しゅん・・・。

 

朝、雨戸を開けていたのも父。

新聞を取りに行っていたのも父。

お風呂を洗っていたのも父。

洗濯物を取り込み、畳んでいたのも父。

その他いろいろ。

 

それを今度から、母がしなければいけなくなりました!

しかも、朝晩、父にお茶とお水、ごはんのお供えという

イレギュラーなことも追加。

 

ごはんの支度は母の仕事。

兄はいつも自室から降りてきて食べるだけ。

兄がきっと座ってご飯を待っているのを見て

テンパってしまったのでしょう。

 

「座っていないで、お水あげてよ!!」

「お茶もあげてよ!!」

「きぃーーーっ!!」

 

と、なったとの事です。

そして兄が手伝ったのかと思いきや、

 

「ひとつひとつ、やれよ」

 

と、兄は言い放ったのだとか。

(手伝わないんかい!)

 

という訳で、なぜか今まで父が生きている時は、

実家に泊まるという事は全くなく、(家まで1時間半程度なので)

いつも日帰りで帰っていたのですが、

父が亡くなってからは、繁盛に泊まるようになりました。

 

ご近所付き合いが活発で、助け合って生きているような地域なので、

体の具合が悪いお隣さんの雨戸も朝晩開け閉めに行ったり、

食事をおすそ分けに行ったりするので、

やる事はたくさんあって、

 

それより何より、葬儀は終わっても、今度はお支払いやら、

役所や銀行や、諸所の手続きが山積み!

四十九日までに、お位牌(戒名を彫るのに3週間かかるとか)

ご本尊、お仏壇を用意しないといけないそうです!

速攻手配せねば!

 

という訳で、まだ母はガクッとはきていないように見受けられます(^-^)