火葬場で、ついに父の体とお別れです。
いつも実家に行って帰る際、兄が車で送ってくれる時は、
父は道に出て「オーライ、オーライ」と車の誘導をしてくれました。
そして、私は車の中から手を振り、父も手を振って見送られました。
電車で帰る際は、母がいつも自転車で駅まで送ってくれるのですが、
その際、父はお留守番なので、門の所で手を振ってくれます。
私が曲がり角を曲がる前に、もう一度振り返ると、
また父が手を振ってくれます。
いつもお別れする時は、バイバイ!と手を振っていたので、
棺が閉まる時も、その棺がとうとう火葬炉に入り、
扉が閉まっていく時も、無意識に手を振っていました。
お父さん、ありがとう。
バイバイ。
母は「おつかれまでした」と言っていました。
そして、お骨になって、小さな壺に納められてしまったのですが、
意外と、不思議にも、そんなにダメージはなかったです。
無事に葬儀を終えました。
家に帰ると、葬儀社の方が後祭壇を設置してくれて、
遺影を置き、お骨を置き、お供え物を置き、ぼんぼりを置き、
四十九日まではその祭壇を使うそうです。
全員が全員、100%言われたのが、
「お母さんの側にいてあげてね」
「お母さんを大事にしてね」
「お母さんをみてあげてね」
母は「とにかく、お葬式までは頑張らなくちゃ」
と言っていたので、お葬式以降、ガクッときちゃうのか!?
一度、母がブチ切れたそうです(兄から聞いた話)
ご近所の木村さんのおじさんが本当に素晴らしい方で、
すいすい車に乗ってフットワークが軽く、
あれこれあっという間に解決してくれるので、
それに比べて、うちのお父さんは・・・
という傾向がありまして(特に母はそう感じていた)
しかしですよ、いなくなってから気付くというもの!
父はしっかり、あれやこれや、してくれていた!!
兄が「最後にコレ使ったの誰!」と言ったのは、
灯油をストーブのタンクに入れる時の自動給油ポンプ。
父がいつも灯油を入れてくれていたので、
母が初めて自動のポンプを使うこととなり、
使い終わった際に、スイッチをオフにしなかった為、
電池が切れてしまって、使えなくなっていた事に兄が気付いたのでした。
「知らなかった」と母。
しゅん・・・。
朝、雨戸を開けていたのも父。
新聞を取りに行っていたのも父。
お風呂を洗っていたのも父。
洗濯物を取り込み、畳んでいたのも父。
その他いろいろ。
それを今度から、母がしなければいけなくなりました!
しかも、朝晩、父にお茶とお水、ごはんのお供えという
イレギュラーなことも追加。
ごはんの支度は母の仕事。
兄はいつも自室から降りてきて食べるだけ。
兄がきっと座ってご飯を待っているのを見て
テンパってしまったのでしょう。
「座っていないで、お水あげてよ!!」
「お茶もあげてよ!!」
「きぃーーーっ!!」
と、なったとの事です。
そして兄が手伝ったのかと思いきや、
「ひとつひとつ、やれよ」
と、兄は言い放ったのだとか。
(手伝わないんかい!)
という訳で、なぜか今まで父が生きている時は、
実家に泊まるという事は全くなく、(家まで1時間半程度なので)
いつも日帰りで帰っていたのですが、
父が亡くなってからは、繁盛に泊まるようになりました。
ご近所付き合いが活発で、助け合って生きているような地域なので、
体の具合が悪いお隣さんの雨戸も朝晩開け閉めに行ったり、
食事をおすそ分けに行ったりするので、
やる事はたくさんあって、
それより何より、葬儀は終わっても、今度はお支払いやら、
役所や銀行や、諸所の手続きが山積み!
四十九日までに、お位牌(戒名を彫るのに3週間かかるとか)
ご本尊、お仏壇を用意しないといけないそうです!
速攻手配せねば!
という訳で、まだ母はガクッとはきていないように見受けられます(^-^)