ローマに来て、ここを訪れない人はいないでしょう。
街の中心のとても便利な場所にありますし、地下鉄の最寄り駅はないけれど、スペイン広場(地下鉄A線 spagna駅)から歩いて10分もかかりません。
巨大でモニュメンタルな噴水が、想像を絶する狭いスペースにあるので、大抵始めての人は、⎡え?こんなに狭いんだ!⎦ておっしゃいます。
気軽に立ち寄れる、ローマ風ピンサ の店は、トレビの泉を正面にしてすぐ左側のmelogranoという店で買えるし、
食料品屋(FORNOだけど色々売っている)もあって、サンドイッチなども手軽に買える便利な地区です。(トレビを正面に左背後)
さて、観光していきましょう。
トレビの泉とは、「三叉路の噴水」という意味で、3本の路地が交わる小さな広場に30年近くかけて1762年に完成しました。もともとの設計はニコラ・サルビによるものです。最後のバロックの傑作と言われます。
この地域の建物のほとんどは1500−1600年代のものが多く、噴水の正面にいくつもの窓が見えますが、実は窓の中はポーリ宮に属する空間です。その宮殿の表面に貼り付けられる形でトレビの泉が作られたわけなのです。現在ポーリ宮はグラフィック美術館として使われております。
まずトレビの泉を正面からご覧になると、中央に凱旋門があり、そこからローマに向かって凱旋して来る大河・大海の神「オケアノス」(海の神ネプチューンとも)を見ることができます。
「オケアノス」は波打つ貝殻の馬車に乗っており、それを引くのが「海馬」で、よく見ると足には蹄の代わりに水かきが、背中には翼を持ち、下半身は魚であることがわかります。一頭は荒れ馬、もう一頭は穏やかな馬です。その馬の手綱を引くのが「トリトン」。海の神の双子の息子であり、海の妖精です。「トリトン」も下半身は魚です。
ここで、水を象徴する神様がローマに向かってくる様子を表しているのには理由があります。
実は、ローマ共和政の時代より、清い水はローマ人たちの生活に密着したものでした。様々な戦の勝利の後、ローマが豊かになればなるほど、ローマに移住してくる人は増え、人口増加が目立ちました。必要とされる水を供給する為、皇帝たちはローマに向かって近隣の源泉から水道橋を何本も引いたのです。
そのうちの一本に「ヴィルゴ水道」というのがあります。これは地下に作られた水道管の中に水を流しました。伝説によると、戦に疲れ切った兵士が、山中で今にも倒れそうになっていた時、乙女「ヴァージン」がどこからともなく現れ、清い水のありかを教えたと言います。
ここ掘れわんわん! とばかりに乙女が兵士に水のありかを示す(噴水右上)
その伝説に基づいてか、執政官アグリッパが紀元前19年にローマより20キロ離れた源泉から水を引いてきた時、「ヴィルゴ(ヴァージン)水道」と名付けました。
中央の堂々たるアグリッパに建築家が設計図を披露している (噴水左上)
しかし、ローマ帝国が崩壊し、人口も激減していく中で、水道橋のメンテナンスは行き届かなくなり、次第に使用不可な状態に陥りました。
それを建て直していくのが、ずいぶん後のルネッサンス時代の教皇です。新しいヴィルゴ水道より送られてきた水を讃える噴水がトレビの泉の原点です。
近くのリナシェンテのデパ地下でヴィルゴ水道橋が見られるんです!
また、「オケアノス」の右隣には、エスクラピオ(蛇=健康の守護神)を持つ「健康」の擬人像が、
左隣には、新鮮な野菜や果物が溢れ出てくる壺を持つ「豊穣」の擬人像が見られます。
背中に噴水を向けて、右手にコインを持ち、左肩ごしに後ろに向かって、一枚コインを投げ入れると「もう一度ローマに戻れる」、2枚だと「素敵な出会いがある」、3枚だと「別れられる」と言われています。お試しください。
ちなみに、噴水の右の端の取り付け柱が一部折れているように見えるのは、ニコラ・サルビによるいたずらですし、その脇に大きな壺があるのも、建設当時に脇の店が工事に対してとやかく口を出してきたようで、それを煩わしく思ったニコラ・サルビは大きな壺を置き、その店から直接噴水が見えないようにしたんだとか。
この店とは、⎡ローマの休日⎦で散髪屋として登場したところ。オードリーヘップバーンの時代は、散髪屋になってたんですね。今はお土産用の鞄屋になっています。
あ、この壺のちょうど噴水側真下に降りて行って、バスタブみたいな小さな噴水を探してみてください。2本の糸のような水が左右からタブに一度交差しながら流れて行っています。
水が交わる、というところから、カップルで飲めば、必ず結ばれる、と言われていますから、これもどうぞお試しを!!
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