お久しぶりです。
どころではない。2019年末のブログ移行以来、書き込みは2回目でござる(大笑)。
此度のネタは近頃話題のアニメ「平家物語」。前回の記事が大河ドラマ「太平記」の再放送のネタでしたからね。そんなに軍記が好きかと。ていうか軍記もの原作のドラマが好きなのか。
ま、とにかく「平家」原作でアニメ化と聞いた時は驚きました。と共に、ねえ。不安も。
「え゛、アニメ化・・・? まさかファンタジー戦記?あるいは女体化?BL?」と、なにしろ「平家」で卒論書いた身(かれこれ30年前ですが(^^; としてはかなり懸念ありましたですよ。
思い入れのある人間からすると、やりゃあいいってもんじゃないですからね。タイトルに「平家」の字があったとしても。
でもそんな懸念も年始の放送直前特番を見るまで。実際OA始まってみたらとっても良かったですね。
まさかの地震で先週は1回飛んでしまいましたが、いよいよ今週が最終回、それも延期になった今週分と合わせての最終回スペシャル状態ということで、ちょっと感想を残しておこうかと。
オリキャラの「びわ」視点をメインに置きつつ、全体の流れは古典平家を踏まえて描かれましたね。近年の大河ドラマが古典的なストーリー性よりも歴史研究の新しい見解を反映させることを重視して、下手すると「歴史番組の再現ドラマ」風に陥るスレスレの線を行きがちで(そこらへん、今年の大河は上手いことバランスとってますよね。ここまでのところ、下世話感が強めですけど)、文学としての古典はなんだか「値うち無し」と言われてるみたいで・・・それはそれでなんだかなーと思っていたところ、オリジナルのストーリーの中でもこんな感じで古典が生かされているのはちょっと嬉しかったです。
もうね、あのアニメの絵に「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」が乗っかった時には感動しましたよ。
きょうび「忠」も「孝」も過去の価値観みたいになってるから、大河ドラマとかでは未来永劫出てくることはなさそうなセリフですけど、たとえその言葉が担う価値観が過去のものだとしても、言葉自体の音楽的価値は失われていない。そういうのって、よほど有害な(笑)価値観でない限り、伝え残す値打ちがある。と、思う。思わせてくれました。
第五話で「元号は平治、都は平安、我らは平氏」なんてわざわざ本筋外(「平家」ではなく「平治物語」のネタだ)の名台詞を引いてきたあたりからも、そういう言葉への意識があるのかなと思われました。
で…この作品、単に古典平家に従ってストーリーが進む、ということだけではなくて、作品全体としてみると、幼い「びわ」の経験が語り物としての「平家物語」となって実を結ぶ、というお話になっているようで、源平興亡の物語であるのと同時に古典の誕生の物語でもあるわけですね。(もちろんそこもフィクションではありますが。)
この点については・・・9話で「平家の行く末を見届けて、祈りを込めて琵琶を弾く」ということが語られましたね。「そなたらのこと、必ずや語り継ごうぞ」というセリフもありました。ここ、重要ですね。

この作品、おおよそ全体としては源平争乱の展開が現在進行形で描かれますが、要所に来ると成人したびわが語る(過去形で!)平曲がオーバーラップする形になっていて、2層構造なんですよね。「・・・結果、「平家物語」が生まれました」という話ではなく、結果生まれた「語り」がそのもととなった事象に同時進行で被ってきている。
ですから主人公がなぜ「平家物語」を語るに至る展開・動機を描いたこの場面、ストーリーの帰結であるだけでなく、全体の構造に関わる大事なポイント!と思いました。
いやしかしあの「びわ」の平曲語り、声を当てている悠木碧さん自身がやっていらっしゃるそうですけど、凄いですよね。番組ホームページを見ると、薩摩琵琶の後藤幸浩さんという先生が語られたもの(録音)を耳で聞いて、「流れをつかんで演じ」られたんだそうで、だからいま現在の平曲そのものではないけれど、それを踏まえてはいる、ということのようで。
ただあれが・・・アニメのセリフの中に乗っかってくると、なかなか異様ですよね。正直、「祈り」とか「語り継ぐ」っていうより、なんだか「呪いの歌みたいだ」と感じてしまいましたですよ。
でもまあ「非業の末路をたどった人たちに寄り添う「祈り」っていうのは、その過酷な運命を(人を、ではなく)未来の側から呪ってあげることなのかも」とも思い返しました。多少無理ありますけどね^^;
お・・・長くなりましたね。いったん切りますか・・・。続きは近日中に。いや最終回に間に合うかな(^^;;
