よっしゃ間に合った!
って、もう最終回OA始まりますがな (^^;

その前に・・・続きです。

 

この作品、そのほかに“今どき”っぽさというと・・・全体の気分の部分ですかね。
体制が崩壊する以前のパートで平家の公達の平和な明るさを美しく描いて、それが無残に散っていく悲劇性の前振りにするわけですが、特に若者たちのピュアさ、イノセントさ、繊細さ、アンド仲良しファミリーぶりが強調されることで「あんなに○○だったのに♪」的落差をこの上なく大きくする、繊細さゆえの絶望感を感傷的に強調する感じは、まあ、最近の傾向だなあと感じます(年寄りの感慨)。

 

       第十話 先行カットから

古典「平家物語」の世界は、もちろん登場人物たちが実に頻繁に涙を流すわけですけど、一方でまことにあっさり命を捨て、また命を惜しむ行動を「卑怯」と嘲笑う、ドライで筋肉質な感性も際立っていて、例えば小林秀雄は(懐かしいなw)そこらへんを
  「平家の人々はよく笑い、よく泣く。僕等は、彼等自然児達の強靭な声帯を感ずる様に、彼等の涙がどんなに塩辛いかも理解する。誰も徒らに泣いてはいない」
とか
 「平家の哀調、惑わしい言葉だ。このシンフォニイは短調で書かれていると言つた方がいいのである」(「モオツァルト・無常といふ事」小林秀雄)
とか言ったもんです。要はあまり哀れっぽく、悲しげに受け取るのは違う、と云ってるのだと思うんですが、インタビューを見ると、監督の山田さんは叙事詩ではなく、「今回のアニメでは抒情詩として「平家物語を描いてみたい」って云ってらっしゃるんですよね。…あえて逆を張ったのか?

 

 

まあ、今となっては叙事詩的な描き方の方が、要は“チャンバラもの”としてよっぽど陳腐化している面もあるし、いや、だからこそ、まさにそこでファンタジー戦記!ていう線も(笑)ありえたわけですから、あえて「抒情」を採った監督の選択に感謝です。

とはいえ単にエモーションだけに集中して描くのではなく、心理描写の要素が強くてメンタル〜エモーショナルという連携で平家物語の人物像を描いていく感じが、やっぱり今どきのアニメだなあと。実際、維盛、清経あたりの心のゆれ動きをこんなに細かく描いたのは新しかったですよね。

敦盛の最期にしても、討たれる側の動機付けがしっかり描かれたことで、避けがたい悲劇のその悲劇性が心に響くものになっていました。

 

 

うわ・・・もうOA始まっちゃう(苦笑)・・・ここでもういっぺん切りますか。

つまり・・・間に合わなかったわけか。結局。