「小学生の時の自分はすごかったな」と思うこと ブログネタ:「小学生の時の自分はすごかったな」と思うこと 参加中
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泣かなかった・・・。

小学校のときは、友達の前でも家族の前でも、一度も泣かなかったと思う…。

泣くのは「みっともないこと」と思ってました。

中学になって、泣くことの爽快感を覚えたかなσ(’’??

今では、友達の前で泣くことは全然平気になってるけど、

でも、家族の前でだけは、今でも泣く事はためらわれますねぇ。

意地でも涙は見せません!!

昨日の、浅田真央ちゃんの演技。

一人で家で見ていたものだから、

始まってまもなく…っていうか、リンクに登場してから、すぐに涙が出てきてしまった(-”-;)

あの、ドキドキ感というか、やらなきゃ…って言う気持ちとか、

そういう、技術的な面でなく、メンタルの面で、画面から気持ちが思いっきり伝わってきたもんね。

キム・ヨナさんも、もちろん素晴らしかったけど、

真央ちゃんの演技の素晴らしさって言うのは、あくまでも、真正面から正々堂々と競技に挑む姿勢ではないのかなぁと思う次第であります。

キム・ヨナさんの素晴らしさは、ルールを最大限に生かしたパフォーマンス。計算されたパフォーマンス。

一方、真央ちゃんの素晴らしさは、少女の「憧れ」を握り締めたパフォーマンス。いわば、気持ちが露呈してしまうパフォーマンスなんだと思う。

それは、現代社会を行き抜いていく術にも似て。

パソコンを操れたり、理論でやり込めたり、何かを使いこなせる人が、現代社会を「まわしている」感じがするでしょ?

一方、職人芸とか、憧れを持って…とか、そういった「浪花節」的人間は、「時代遅れ」のレッテルを貼られてしまう世の中。

ただ、心に残る仕事…、誰かをひきつける仕事…という面では、後者が前者を圧倒するように。

真央ちゃんのトリプルアクセルを武器としたパフォーマンスを、大きく評価できない今のフィギュア界は、現代社会のように、職人を隅の方に追いやってしまうような愚かな世界へ舵をきってしまったように思われた。

プルシェンコの怒りが、ようやく実感できる女子フィギュアの結末だったかな。

って、お題から、話が発展しすぎましたけど^^;

小学生の自分が、先日の真央ちゃんの演技を見て、どう感じるのか、聞いてみたい気もします。