鴨の池


 緑色に澱んだ池の岸に鴨の群れが居座っている。昼寝でもしているのだろうか、身動き一つしない。池のほとりで浮かんでいるのは三匹の兄弟鴨だけである。羽をばたつかせて水をかけあっている。ある日、この風景をまじまじと眺めていたあなたは、友人にこう言った。

「この池の鴨のようになりたい。」

 すると友人が、

「そんな人生は退屈だ。」と言った。

それはただの人間の言い分であって、もし君が鴨だったならそうは感じないはずだと、心で反論するが、あなたと友人はそれきり何も言わず池を後にした。

事実、あなたはこの池の鴨になってみたかった。悠々と陽の光を浴びて、気の向いた時に水浴びをし、水面に輪を描いては、その数を競う。雨の日は岸の上の方までそっと歩いて、その身を木陰に潜める。地面から雨の日の土の香が心の闇を洗い流していく。やがて霧が薄っすらヴェールとなって木々を包み込む。そうなれば後は、蒸気の一粒一粒が葉に溶け込んでいくのを何とも言えない安堵感で見届けるだけだ。一見何の変化もなく、退屈な生活だと思う友人の気持ちはわからないこともないが、毎日自然に囲まれて、人工的なオブジェクトに触れずに生活できるのだから、あなたは恨めしい気持ちでいっぱいである。いつの間にか、毎日昼食をこの池のほとりでとって、この三匹の鴨を眺めるのが日課になっていった。

頬を褐色に染めた葉が辺に彩色をほどこす季節になって、池のほとりで秋の香を広げている金木犀の足元に寝転がった。秋空に浮かぶ白く重たい雲の隣で、あなたの心はゆっくり風に吹かれて、空に薄くヴェールを編みこんでいく。

やがて、やわらかい一筋の陽の光と秋風の優しい声があなたの血色の良い頬を撫でる。敷き詰められた、燃えるような紅葉のベッドからあなたは鴨に目をやる。時が止まったかのようにじっとしていた鴨たちは、水面に光るダイアモンド目掛けて輪投げをしている。すると一匹の兄弟鴨が池に飛び込む。他の二匹の兄弟たちも遅れをとらぬよう後を追う。あなたは何か話した気に口を開くと、鴨が言った。


ダイアモンドがいつも逃げるのさ。


何も言わないままあなたは微笑み、鴨の池に近づく。まぶしく光る落葉の小船が岸に一隻。そこに一匹のタイをした鴨があなたを秋声の幻想曲へエスコートする。そしてあなたはその紳士な鴨に、そっと手を差し伸べた。