最後の授業 | 美しすぎる切り絵教室 横山夢(よこやまろまん)

最後の授業



この景色を30回見て、大学前期の実習がすべて終わりました。
私はスマホを経済的な躊躇から持ってないので、通勤の電車では読書しています。電車や駅ではほとんどの人がスマホにくぎ付けになっていて、今風な景色だなと思って見ています。みんな同じ角度なのに読書や買い物やゲームに仕事や日記、内容は様々・・。

最後の実習は14回の実習で制作した作品を相互に観賞しよう、という趣向の実習時間なのですが、絵は描く時間が長いけれど観賞する時間はとても短く、早々に見回り終えた学生は「帰りたいんですけど」と言いに来たり、何人かでトランプを出してきて遊んでいたり、女の子はお喋りしていたりと、三者三様十人十色でした。「全員が見終わるまで待ってて~」と謝りつつ、「自分の作品へのアドバイスをください」と言ってくる学生もいるのでうろちょろうろちょろしてべらべらべらべら喋っていましたら、


「先生、レアポケモン!」

と学生に言われました。語彙から察するにすぐいなくなるとか捕まえるのが難しいってことかと思いましたが、これでよこやまもポケットなモンスター達の仲間入りです。

いつもは25名ばかしの学生の間をうろちょろしているのでなかなか一人一人と話をする機会が無いのですけれど、この日は学生も色々お話をしてくれて、「もっと厳しい事を言って欲しい」とか、「小学校の時、先生にこう言われた」などなど、彼らの大人への思いをうかがい知ることができました。

今は子供への配慮・責任が加重になるあまり、大人が欠点への指摘をしなくなりました。「それでは私たちはどのように欠点を克服して前に進めばいいの?」ということを子供たちも思っているんだろうなあと。「甘すぎる」などの授業アンケートでのコメントも増えているようです。

しかし、同時にこれまでの先生との関わりの中で、「非常に傷ついた」という思い出話をされることも多く、甘すぎず、辛すぎず、の指導の模索が続きます。個々の学生に雑談なんかの時間が持てるくらい余裕ができればいいなと思いますが25名では難しいところがあるかな。
厳しい指導が欲しい時は「厳しく言ってください」とはっきり伝えるか、自分から辛口の先生に見てもらいに行くとかしないとね、と伝えました。

大学に入るまでに担任の先生や美術の先生、画塾の先生に「傷つけられた」という思い出がある子がわりと多いのですが、過去に絵を描くことで傷つけられてもやっぱりここに来たのだからあきらめきれない希望が絵を描く世界にあるのだなと思います。


そんなことがあって、私も過去に絵の事で傷ついたことを改めて今日思い出しました。



私は幼いころから絵を描くのが好きな子でしたが、小学4年生の時に絵を描くのをやめたのです。担任のN先生の言葉がきっかけでした。

 小学校には全員参加の「クラブ活動」がありました。皆さんも何かのクラブで時間を過ごされたのではないでしょうか。私は「絵画部」に希望して参加しました。友達からは「N先生が顧問なのに、なんで絵画部にしたの?」と聞かれました。N先生はヒステリックでものすごく厳しく、ニコリとも笑顔を見せない女性の先生で、忘れ物をよくする私は頭を殴られることが度々ありました。怒られて泣いたり、おもらししたりする子までいるくらいで、生徒全員が彼女の担当するクラブに入りたくないと思っていたようです。それでも私はずっと絵を描くのが好きで、子供絵画教室に通ったりしていたので、絵について怒られることはないだろうと思い希望したのです。
 クラブに行ってみると、4年生は5クラス計100人以上いるのに4人しか部員はいませんでした。


「今日はアジサイを描きます」

画用紙に、4名の生徒がそれぞれ鉛筆でアジサイを描き始めました。
他にもモチーフはあるのに、なぜアジサイなのか。細かいガクや花、葉脈を頑張ってみんな描きました。

「花の一つ一つをちゃんと描きなさい」

・・と怒られる子がいて、少し緊張しましたが、昔通った子供絵画教室で一度アジサイを描いたことがある私は描ける自信がありました。4年生の横山は、ずっと叱られてばかりのN先生に褒めてもらいたかったのかもしれません。
 鉛筆で下絵が描けると次はサクラ水彩絵の具で着彩です。

「花びらの一枚一枚を違う色で塗りなさい」

そう言われた後、私は青を水で薄めた絵の具で花全体を大きく塗りました。初めに水色にして、そこに紫や黄色を塗り重ねたら色が変わるかなと思ったのですが、N先生は、

「花びらの一枚一枚を違う色で塗りなさいっていったでしょ」

と言いました。そして更に頭を平手でぶたれた私はとても悲しくなったのか呆然としたのか泣いたのか、ぶたれた後を思い出せないのですが、その日から絵を描くのをやめたことを覚えています。アジサイも、嫌いになりました。あの、日本に昔からある水色のまあるい普通のアジサイ。
 ほんとに、あのぶたれた後の時間をどのように4年生の私は過ごしたんでしょう。覚えてないんです。 

 昭和時代は先生や大人がよく子供をぶちました。
 トイレには花子さんやトイレの神様がいて、田んぼで悪さするとバチがあたるとか、子供の周りには畏れるものが多く、学校の先生は最たる怖い存在だったと思います。

その後絵を描くのを嫌った私は、ついに高校3年の夏に「そういえば私は絵を描くのが好きだった」事を思い出し、猛烈にデッサンをやり始め、ギリギリ京都の芸大に滑り込みました。

小学校4年から高校3年生まで絵を描いていたらどうなっていたのか、思い巡らしても詮無いことです。40歳になった私が思うのは、教える立場の大人の影響力は大きいことを常々念頭に置いて言葉を使わなければいけないなということです。若い心には嬉しい事と傷つきが後々まで深く残るんだなと大学生の話を聞いて思います。中年になっても老人になっても子供の時のそれはいつまでも「大人への恨み」になって残っている。自分ももう大人なんですけど。

傷ついた部分は強くなるので、色んなつまづきを経験してほしいところですが、それと同じくらい沢山の嬉しいことも無いと、若者がよく言う「心折れる」ことになるでしょうし。厳しいことも言うけど、同じくらい良いところを見逃さずにいて伝えることが講師の私にできることかなと思います。


後期もがんばろう。