訓練も受けていない『ボランティア』はただの・・
「訓練も受けていない『ボランティア』はただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません」。
1995年の阪神・淡路段震災からすでに16年が経過。当時の被災者だからこそ経験し、感じた心情がある。その思いを兵庫県・西宮市議の今村岳司氏が自身のブログで綴っている。(中略)
被災者だから判る教訓。それがブログと言えども文面からにじみ出でている。東日本大震災は、阪神淡路大震災以上の被害になることは確実視されており、同じ轍を踏むことだけは、絶対にないようにしてほしいものだ。
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という記事を読みました。
以前、テレビ番組で阪神淡路大震災の被災者の方々が、「頑張って」という言葉にとても傷つき怒りを覚えたという事を伝えていたのを見ました。
確かに辛い時には満身創痍、何を向けられても身に心に障る。
同情も応援も傷つく。
それは、想像できない人もいる。
色々想像すると一番消極的な方法でしか心配や応援を表現できない。
でも今回の災害ではTVの取材を見ているとしろうとボランティアをとても喜んでくださっている現地の被災者の方々を見ることが多かったので、なんだかほっとしました。
ボランティアの受け止め方も地方や年代によって違うのかもしれませんね。
萌絵ちゃんが、地震直後に
「先輩の切り絵グッズを売って何割かをチャリティーしましょう!私が宣伝しますよ!」
と提案してくれたんだけど、
あるゲーム会社がゲームアイテムを販売し、その何割かをチャリティーに」というニュースの見出しを読んでいた私は、
「それは、人の不幸に乗じて自分の儲け事をしているだけじゃないのか・・」
と思ってしまった。
地震直後から各ウエブサイトでのお見舞いの言葉や復興へのお祈りを読んだけれど、今その言葉をかけられるべき人はウエブサイトなど見られる状況ではなく、それらを表示する行為はその言葉を表記していないと不謹慎で無慈悲だと世間から思われることから自分達を守るための行為のように思えた。
慈善行為は自分の安全や利益を確保しながらするものじゃない。そんなことを思う私は極端で潔癖でひねた人物だ。
個展中にも、「アーティストがチャリティーグループ展をして作品を売ってその利益を集めて義援金にするのはどうか、」という話をお客様や作家さんからうかがうのです。
それは、とてもいいことだと思う。けど、そういうやり方に参加するのは苦手。
なぜかというと、皆で集まって売らなくても、一人一人が義援金を送りたいと思っているなら一人一人がそれぞれ身銭を切って義援金を送ればいいんじゃないかなと思うからです。
チャリティー展に参加しても、私の絵を買ってくれる行為が私への応援なのか被災地への応援なのか、義援金を捻出できない貧しい絵描きを哀れんでくれてのことか、良い人と思われたいためか、わからない。
その購入者が被災地に義援金を送りたいなら私を通さず赤十字などの団体にそのままお金を送ってくれればよし。私の作品を欲しいと思ってくれるなら払ったお金がその後どうなろうが構わないつもりでお店に払って作品を手に入れてくれればよし。
「どういうつもりで買うんだろ」
その疑問でいっぱいになる。
「物」も「慈善活動をする自分」も両方同時に手に入れるのは、私には気持ちよい行為に思えない。
私は沢山の人が困っているのにいつも通り絵を描いて絵を展示して絵を売っている。こんな非常時に。
それはきっと生まれてから今日までずっとそうなのだ。
アフリカの子供が飢えて病気にかかって困っている。毎日、世界中で誰かが今にも死んでしまうのに、私は絵を描き絵を売っている。
何もしない毎日の私の罪。毎日毎日生きているだけで罪人です。生きていてもいいですか。
災害に遭って、被害を受けた地域もそうじゃない地域も、世界中までもひとりひとりが色んなことを考えたと思う。
すべての人が本気で。
・・そんな無駄なことを考え込むより、萌絵ちゃんのような素直な行動力を見習うべきですね。
彼女はなんだかんだといつもちゃちゃっと人助けしています。
数秘花占いによると彼女は奉仕の「百合」です。
私は沈黙の「木蓮」。
よくあたるなあ・・・。