ケンカ 怒ikari
『怒-IKARI-』(いかり)は1968年に制作・販売された縦スクロール型アクションゲーム及びそのシリーズの名称である。
そういえば、そんなゲームがあったっけ?なかったっけ?
と思ったあなたはオタクです。
それは置いておいて。
ようつべ流出の船事故のニュースでは、街角インタビューで「あっぱれ・正義感・愛国心・どっちが悪いか明白になった。」と、皆答えていた。
たぶんメディアによってそういう意見ばかりチョイスして取り上げられただけだろうけれど、
あの事故の映像、こちらからみれば「悪質野蛮」ですが、むこうから見れば「ヒーロー」ですよね。
「捨て身で私たちの領域を守った勇敢な人」という風にしか見ていないと思うのに、こちらからは「ほら!やっぱあいつらが悪いんじゃん!」として見ている。そして、お互いに、
全世界のみなさん、これでわかったでしょ!
と思っている。お互いにお互いに。
留学してきている学生もいるからメディアも影響考えて欲しい。ただでさえ言葉わからなくて心細い子もいますし。私学の芸大生はお人好しが多いので周りは何も気にしてないけど当人は不安だと思う。
ケンカは国家規模でも個人規模でも自分の感情と相手の感情のぶつけ合いなので、きっかけはいつの間にか置き去りにされ、「あなた前もこうだった!」「君こそいつもこうだ!」「あなたこそ、そもそもこうだ!」と、過去に遡り相手の至らなさや失敗、弱点、改善すべき点を言葉と態度で示しあう。
お互いにどうして謝らないの?非を認めないの?どうして自分が謝らなきゃいけないの?
悪いのは相手なのに!
・・と、強く思っていくものなのである。
そして同時に、
あなたの本音がわかった。私のこと、そんな風に思ってたんだ。もうあなたとはやっていけない。
と結論する。
しかし。
ケンカをしている時の言動は本音なのでしょうか?
確かにいつもは「まあしょうがないか」としていちいち言わなかった事を言っちゃってるのは確かですが、
ケンカの時は心や脳が平常の状態ではありません。
よく、殺人事件で「カッとなってやってしまった」と犯人が言っています。つまり犯人は普段人を殺す人間ではないのです。怒りという極限状態で、してはいけないことをしているのです。
極限状態に置かれた相手の姿が「本当の姿」なの?
普通の状態では「ささいなことを許容してくれる」相手。それは本当じゃないの?
と考えたら、ケンカになればお互いに頭を冷やさなければならないのねー。と当たり前のことを思いました。
ケンカといってもDVはこれに当てはまりません。バイオレンスですから。
蹴ったり殴ったり打ったり叩いたり破いたり壊したり。次はナイフやピストルやミサイル・・なんてなる前に冷まさないと。