いや〜最近、気が向かなかった〜爆笑

久々に気が向いたから
書いていきますよニコニコ



わたし、3月って、なんとなく
もやもやするっていうか
気持ちがスッキリしないっていうか
そんな感じなんだけど

今年は特に

周りにいる人達のお子さんが
高校に進学するとか
大学に進学するとかで

職場でも「おめでとう」とかなんとかの
言葉が飛び交っていたり

制服作るだとか
説明会に行くだとか
そんな感じの話題が多くて




わが家はそういうのとは
無縁の生活を送っているものだから
全く話に入って行けなくて・・・

そういうのは
やっぱり悲しいじゃんねショボーン




子どもたちが学校に行かなくなってから
「子どもには期待しない」って決めて
(期待すると、子どもが期待どおりの
動きをしなかった時にイライラするからキョロキョロ

子どもの気持ちを最優先して

子どもがやりたくないって言うことは
「本人がやりたくないんだから仕方ない」
って思って、諦めて来たのよね・・・(T_T)
(一応、自分はこうしてほしいと思っている
というのは伝えてはみてるけどね・・・)

でも、やっぱり悲しかったんだよなぁショボーンショボーンショボーン





でね、「親としての喜び」って考えた時に
子どもの成長を実感することが
本当に嬉しいことだと思ってラブ

入学とか卒業とか成人式とか結婚式とか
いわゆる「〇〇式」みたいな
人生の節目の行事っていうのかな?

そういうのに立ち会うことが
わかりやすく子どもの成長を
実感できる瞬間だと思うんだけど

うちの場合は、卒業式とかは
まぁ個別で出たりしてきたけど

入学式も出ないし
成人式も出ないし(写真すら撮らない)
節目の行事に立ち会う機会ってほぼなくて

そうすると、毎日一緒にいるから
なかなか子どもの成長を
実感する瞬間ってなくてショボーン




「あ〜だからモヤモヤしてたんだ」
「あ〜わたし悲しかったんだ」
って思ってねぇニコ




でも、よくよく考えてみたら

子どもが学校に行こうが行くまいが
進学しようがしまいが
就職しようがしまいが
結婚しようが離婚しようが

その子が考えて出した答えであって
その答えに納得しているのであれば
親だってあれこれ口出す権利はないなぁと思ってキョロキョロ



子どもは親の欲求を満たすために
存在しているのではないから
子どもはその子自身の人生を
生きる権利があるのだから



「親としての喜びなんて
ないのかもしれないキョロキョロ

「やっぱり、自分を
満たしてあげられるのは
自分しかいないのだ!!

という結論に達した
今日この頃です照れ






ではでは今日はこのへんで
また気が向いたら書きまーすニコニコ
バイバ~イバイバイ