ここ2週間の間で海老名市議がツイッターで、岐阜県議が議会の中のヤジとして「同性愛は異常だ」とコメントしています。議員さん以外でも、弁護士の方なんかで同性愛はロリコンと一緒だ説を唱えてる方がいましたね。
11月初旬に渋谷区と世田谷区が相次いで同性パートナーシップを区として認める証明書や宣誓書の交付をはじめましたが、これらの議員の発言は、そうした同性愛の人権擁護の動きに対するバックラッシュとも言えるんじゃないでしょうか。
これから同性愛者の存在が人権問題として可視化されてくるにつれて、感情的で保守的な批判が同性愛者に浴びせられることが増えると予想されます。恐ろしや((((;゚Д゚)))))))
そこで、これから何回かは同性愛に対する「伝統的な」批判を踏まえた上で、それらに対してこれまでなされてきた反論を整理してみようと思います!
今日は、そんな伝統的な批判の中から「同性愛は生物学的に正しくない」をピックアップ。よくある批判です。
「生物は子孫を残すために存在するのだから、生殖を伴わない性行為なんて異常だ!」ってよくある批判ですね。生物学を持ち出す批判に対しては主に次の3つのポイントで自分は反論してます。
1)いやいや、異性愛者も生殖を伴わない性行為をするでしょ。
個人的にはオーソドックスな反論だと思ってる。
性行為って、素朴なイメージだと生殖と結びつけられちゃうけど、いろいろな側面があるわけです。
例えば、性教育なんかでは性について三つの側面から説明したりします。
「関係の性」・・・コミュニケーションをとるための一つの手段としての性行為。恋人同士で愛情を深め合うためにセックスをする、仲直りのためのセックスをする、なんていうのはこれですよね。
「快楽の性」・・・快楽を得るための手段としての性行為。マスターベーションとか風俗とかで、気持ちよくなりたい~ってのはこれに入りますよね。
「生殖の性」・・・子どもを作る手段としての性行為。
このように、性行為って実はいろいろな側面がある。「生殖の性」なんて性のあくまでひとつの側面でしかないわけです。
まさか異性愛者が性行為をするとき誰しも「よーし、これからセックスして子ども作るぞー!」と思っているワケじゃないでしょ(°_°)だったらコンドームなんて必要なくなっちゃうよね笑
異性愛者の多くだって生殖を伴わない性行為はするわけで、「同性愛者の性行為は生殖を伴わないから異常だ」というのは的外れな批判なわけです。
2)同性愛は他の動物一般にもみられる
これもよーく見かける反論。いろんなLGBTのハウツー本みたいなのをひっくり返してもこの説明は多い印象。
他の動物にも同性愛がみられる、その具体例を参考文献からざっと紹介しておくと次のような感じです。(引用元は番号で示して記事の末尾に示してあります)
・米国の生物学者ブルース・ベージミル氏によると、450種類ほどの生物において同性愛的行為が記録されている。サル、オランウータン、カモ、カモメ、イヌ、ネコ、イルカ、カメ、トカゲ、カエル、トンボ、ハエなどさまざまな生物が同性に求愛したり交尾したりする姿が観察される。①
・『タンタンタンゴはパパふたり』という絵本に、ニューヨークのセントラルパークにいるペンギンのオス同士のカップルが描かれている。①
・メキシコに生息するムチオトカゲ(別名レズビアンリザード)はメスしかおらず、生殖のための交尾も必要ない。しかし、メス同士で交尾している姿が見られる。①
・ボノボやゴリラなど類人猿の一部も同性同士で快楽・ふれあいのコミュニケーションをしている。②
まきむぅの本からの引用が主になってしまった。いやぁ、まきむぅの本の完成度高いっす。
とにかく、これだけみても同性愛は生物の中でわりとありふれているということがわかると思います。
3)そもそも生物学は帰納的な学問であって、"生物のあり方を規定するもの" として同性愛を否定するために用いるべきではない。
これはツイッターで見かけて、すごい納得した説明です。(探しても見つからなかったので引用元示せませんが、ご了承ください。見つけ次第載せます)
帰納法っていうのを聞き慣れない人がいるかも知れないので、簡単に説明しておきます。
帰納法をざっくり言うならば、「事例を枚挙して、一般的法則や原理を導き出す」っていう考え方のことです。例えば「バラを百本観察したら、全てトゲがあった。よってバラにはトゲがある。」なんていうと、帰納法に近い考え方と言えるでしょう。
(一応言っておくと、帰納法の対義語は演繹法です。演繹法とは、「普遍的・一般的な前提から、結論を導き出す」っていう考え方です。さっきのバラの例でいえば、「トゲがある花はバラである。この花にはトゲがある。よってこの花はバラである。」っていうのが演繹法に近い考え方です。)
これを踏まえて「生物学は帰納的な学問であって、同性愛を否定するために演繹的に用いるべきではない。 」っていうのを説明すると、こうなります。
生物学は、生物全般を観察し、そこから一般的法則を見つける学問です。
「熊をたくさん観察した。そしたら、熊はみんな肉を食べてた。だから熊は肉食だ。」
「アサガオの種で何回も実験した。そしたら、一定の温度じゃないと発芽しなかった。だからアサガオの種は発芽するのに一定の温度が必要だ。」
こうやって一般的法則を見つけるのが、生物学なわけです。
けれども、もし生物学を"生物のあり方を規定するもの"として使ったらどうなるでしょうか。
「ある熊を観察したら草を食べていた。つまりこれは熊じゃない!生物学的に異常だ!!」
「アサガオの種が一定の温度以下で発芽した。生物学的に異常だ!!」
このように、生物学で"生物のあり方を規定する"のっておかしくありません?
肉食と思われていた熊が草を食べていたら、生物学的に異常だとは考えないでしょう。むしろ、熊という生物の生態をこれまでの生物学は正確に捉え切れていなかったのだ、と生物学の知見の見直しが迫られるのが本来です。アサガオの種の例も同様です。
このように、生物学は"事例を枚挙して、生物の実際の有りようを見いだすもの"であって、"生物のあり方を規定するもの"ではないのです。
そもそも同性愛は人間という生物の中で広く見られるものだし、(2)でも述べたように人間以外の生物でもみられるものです。
そうした生物の実際の有りようを無視して「生物学的に正しくない」という言い方をするのは、完全に生物学の誤用ではないでしょうか。
ぱっとこんなところでしょうか。
他にも、「そもそも『自然』っていう考え方自体が近代の自然科学が勝手に決めたものに過ぎない」とかいう言い方で反論する人もいますかね。
雑なまとめでしたが、こんなところで(^o^)/
追記
書き終わってウェブ探したら、2CHOPOでまきむぅの記事を発見。俺の拙文読むよりもこっちを読もう!!
牧村朝子「第99回 「同性愛は生物としておかしい!」→生物学専門家「ここで生物界の多様な生殖について見てみましょう」」http://www.2chopo.com/article/detail?id=1278
参考文献
池谷寿夫『セクシュアリティと性教育』 2003,青木書店
牧村朝子『百合のリアル』2013,星海社新書①
伊藤悟ら『同性愛って何?[わかりあうことから共に生きるために]』2003,緑風出版②

