サグラダファミリアの真実19 | RollingTV News

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<The Legend of Gaudi  ~Sagrada Familiaの真実~ >

Chapter19 ガウディの最期

1882

1:51:01 受難の門の右側に、小さな門が一つ、作られている。長い風雪に晒されて来たその門柱には王冠と鍵をデザインした象徴の下に1882の数字が描かれている。サグラダファミリアの起工式は1882年3月19日、聖ヨゼフの日に行われた。今から125年も前の話だ。初代建築主任、フランシスコ・デル・ビリャールは尖塔形の高い鐘楼に狭間飾りのある大窓、外バットレスというネオゴシックの教会を設計した。そのわずか一年後、ビリャールは教会側との意見の対立があり、退陣を余儀なくされた。

1:52:08 その後を継いで二代目建築主任となったのが、当時弱冠31歳という駆け出しの建築家だったガウディだ。ガウディは早速計画案を練り直し、数年間かけて今のスタイルに設計変更を行った。以来いくつものプロジェクトと同時進行しながら、73歳で亡くなるまで、サグラダファミリアの建設を指揮し続けた。

1:52:37 1852年6月25日、日本で言えば江戸時代末期に生まれたガウディは、1926年(昭和元年)6月7日の18時頃、日課にしていたバルセロナのゴシック地区にあるサン・フェリぺ・ネリ教会のミサに出席する為グランビア大通りを渡ろうとした時、市電に撥ねられてしまった。 あまりにみすぼらしい身なりの為、誰もそれがガウディだとは気づかなかったという。駆け付けた市民が病院に運ぼうとしたが、その身なりから4台ものタクシーに乗車を拒否されたと言う。

1:53:28 やっとのことでサンタクルーズ病院に移送され、2度程意識を回復したと伝えられている。

1:53:39 最後「我が神よ、我が神よ……」と祈りの言葉を口にして、ガウディは深い眠りについた……。 1926年6月10日、午後五時八分のことだった。 アントニ・ガウディ・イ・コルネット、享年73歳。

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1:54:03 弟子のジョアン・マタマラがガウディの死の床でとったデスマスク。穏やかそうなその顔には、晩年のガウディの温厚な人柄が現れている。

1:54:17 そのあっけない幕切れとは裏腹に、死の二日後に行われたガウディの葬儀は、大勢のバルセロナ市民に見守られる中、執り行なわれた。 結婚もせず、子供もいなくて、不遇の晩年を送ったと伝えられるガウディだが、これほど多くの市民に愛されていたと思うと、彼の遺した数々の建築やサグラダファミリア教会の建設が、バルセロナ市民にどれほど多くの希望や誇りを与えていたかを伺い知る事が出来るのではないだろうか。

1:55:03 葬儀の列は、ミサの執り行なわれたカテドラルを出て、サグラダファミリアまで続いた。沿道はすべて大勢の市民で埋め尽くされ、列の先頭がサグラダファミリアに到着した時、後部はまだカテドラルを出ていなかったという。大勢のバルセロナ市民に見送られたガウディ。彼の遺産は今もなお、バルセロナに、そして全世界の人々の心に、大きな希望と恩恵を与え続けている。


Chapter20につづく..........
※文節の頭についている数字は、DVDでのランニングタイムを著しております。
ナレーションの収録時に使った原稿なのであしからず。 (=^_^;=)
※このブログのChapterの数字は、DVDのChapterとは異なります

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