行く道の途中で今夜泊まる宿の予約をとり、温泉施設ろっかぽっかに辿り着いた。長旅の疲れに温泉が五臓六腑にまで染み渡る。ずっとこのままここに居たいが、そうもゆっくりとはしてられない。帰りも歩きで、吹越の一個南の有戸駅まで帰らねばならない。一応電車の時間はひかえてあるが、その時間まで駅にたどり着けるとは限らないからだ。
  辺りはだんだんと暗くなっていく。驚いたのは、流石に電力会社のある村だという事だ。田舎道でも街灯が並んでいて、しかもLEDなのだ。民家のある場所や山里をはさみ、道はずっと向こうまで続いている。地方の道なので店など全くない。トイレに行きたくなったらどうしよう? 途中で道を間違えてしまい、戻った分かなり時間をロスした。LEDのない樹々の茂ったところは本当に真っ暗だった。ふと野田でステビーをした時の記憶が蘇る。ここにはあの駅舎のような屋根付きの寝泊まりできるところはないだろう。野宿するとなれば寒いだけでは済まされない。熊も出そうだ。
  運良くタクシーが通りかかった。駅までお願いした。若いタクシー運転手だった。
  「こんな所で何やってるんですか?」
  「ちょっと東北を見て回ってまして。」
  「それは大変でしたね。」
  「ここら辺って熊とか出ますか?」
  「ええ、出ますよ。」
  熊も人間が怖いので、死角からこちらが現れるなどの意表をついた出会い方をしなければ滅多に襲って来ないという。例外は子連れの母熊だ。子供を守るために非常に攻撃的になるという。まあともあれ良かった。タクシー様様だった。文明の利器はすごい。あっという間に駅に着いてしまった。
  「2000円にまけときますよ。」
  駅に着く途中でメーターを切り、数100円分得した計算になる。電車が来るまで10分以上ある。間に合った。
  宿のある駅に電車は着いた。目指す宿は駅のすぐ側にある。すぐに見つかった。ログハウス風の宿だった。宿主が一人で切り盛りしていた。食事は頼んでなかったが、側に店もないので、カレーくらいだったらどうにかなるような話をされた。そこのご主人、妙に癖のあるインテリだ。知識は豊富だが、こちらの話を折り、話を続けすぎる。聞かなくてもいいような事を聞きすぎる。言わなくていい事を言う。少なくとも客商売には向いてなさそうだ。
  二階の客間は結局私一人しか客がいなかったので、完全に個室になった。シャワーを浴びて、拾ったエロ本を見ながら寝る事にする。が、なかなか寝つけない。どうした事だろう?  今日は30km歩いて疲れたはずだ。温泉施設にも入ったし、寝れない理由はないはずだった。明日はどこへ行こうかと考えながら、結局寝れたのは2時過ぎだった。
  次の日、宿主が車で近場の名所を案内してくれる事になった。もう手持ちの金がないので、まず郵便局まで送ってもらいお金を降ろす。その後恐山まで連れてってもらった。途中の山々には沢山ヒバの木が生えていた。東北によく生えている木だ。総ヒバの木造りの風呂というのは東北の方ではけっこう高級なものらしい。青森ヒバの木には雑菌やカビ、ダニの増殖を抑えるヒノキチオール、β-ドラブリンという成分がふんだんに含まれているという。ご主人が色々と説明してくれた。やがて恐山に辿り着いた。
  恐山は高野山、比叡山と並んで三大霊山の内の一つである。三途の川を渡ると硫黄香りが漂って来た。賽の河原や血の池地獄を渡り、地獄めぐりができる。途中至る所に硫黄の湯があり、中に入る事が出来た。携帯を替えてしまったのでもうその時の写真はないので、代わりに別府の地獄の写真を。




  次に行ったのが、夫婦かっぱの湯だった。昨日ご主人にろっかぽっかに行って来た事を話したら、「温泉に入るのにあまりお金をかける習慣はない」ような事を言っていただけあってか、かなり安く300円もしなかった。二人でしばらくそこにつかった後大湊の駅で別れた。
  ここから更に下北半島の先端の方まで行きたかったのだが、その日は一日中雨だったので、やめてもう家に帰る事にした。あっという間に青森駅まで来てしまった。ここは09年(当時の2年前)の8月に、ねぶた祭りを観に来た事がある。宿をとるのも忘れて(というか、行こうと思ったのが直前だったので、いっぱいでとれなかった)、野宿をしたのを覚えている。その時は夏だったので、防寒を全く気にしなくって良かった。結局どこも泊まれなかったので、駅から離れた温泉施設で仮眠をとり、溜まりに溜まった洗濯を洗濯機に放り込んだら、硫黄の臭いがついてしまった。
  青森に着いたものの特に何処か寄るところはない。夜行が出るまで何をしようか?  近くに献血ルームがあったのでそこに寄る事にした。2年前に東北に来た時も確か盛岡の献血ルームに寄った。ちょうど30回目で記念品をもらって荷物になったのが想い出された。他に特典として近くの映画館の割引券を渡されたが、有効期間が1年間なので使える事はなかった(2年ならば間に合ったが、旅先に来てまで映画を観ようとは思わない)。
  「へえ、神奈川から。となると今日は野宿ですか?」
  「??」
  献血ルームの受付の人にいきなりそう問われたのだ。今日は夜行で帰るだけだが、上記の通り野宿をした事はある。当たらずとも遠からず的な事をなぜ分かったのだろうか?  話を聞いてみると、その人は別の地方出身の人で、東北に初めて来た時に宿をとり忘れて野宿をしたそうだ(似たような人は何処にもいるものである)。
  青森の献血ちゃんは赤頭巾をかぶっている。りんごが名産だからだろうか?  沖縄はシーサー型だったっけ。ゲストハウスのスタッフが献血マニアで見せてもらった事があったが。
  
  そんなこんなで夜行に乗り、被災地を巡る旅は終わってしまった。結局被災地の人と濃厚接触できた事はほとんどなかったが、震災直後の東北の様子を見れただけでも良かったのではないかと思う。