台風19号の猛威は日本の約半分を覆い、日本各地に多大なる爪痕を残した。ラグビーWCで湧くお祭りムードを吹き飛ばしてしまう程だった。私の家の側でも至る所で所で川が溢れただの、浸水しただのという話を聞く。幸い私の住まいは丘の上の4階にあり、特段何もなかった。
  職場では停電するかどうかという話が持ち上がり、出勤できない職員の穴埋めをどうするか皆頭を悩ませていた。停電になってしまえばトイレが流せなくなる(実際武蔵小杉のタワマンではそういった事が起こった)。どうしても使わなければならない作業の、いざという時のために小型の発電機を用意していた。これまた運良く停電はなく、下水が少々逆流しただけで済んだ。

  雨風が強くなる前に少し早めに出勤した。主任は私が出勤できないと踏んでいたらしく、夜勤残業用に天丼とカップうどんを用意していた。一言聞いてくれれば良かったのに・・・・NHKはこの日一晩中台風関連のニュースをやっており、各地の被災状況を伝えていて、主任と遅番の職員・私の三人で眺めていた。遅番終了時刻は20:15。しかし私のいる地方では21時頃が一番雨風が強くなる頃なので、勤務時間が終わってもしばらく帰れないのである。頑丈な建物なので中にいれば家で過ごすよりもずっと安全なので、夜勤の私としては良かったが、いかんせん何が起こるかわからない。結局のところ、たまにゴーッと雨風の音が聞こえるくらいで何もなかった。日が変わる頃には雨も止んだ。

  次の日一変した日本の各地の様子をTVで眺めながら、改めて当時の事を思い出す。今回の台風が尋常ならざるものになる事を、我々は予報で予め知る事ができた。住まいの状況や立地に危険を感じる者は各地の避難所に避難することもできた(入所拒否されたり、追い出された人がいて、色々と問題もあったが)。が、東日本大震災の時はそうもいかなかった。突然尋常ならざる振動に襲われ、そしてその事実を咀嚼して飲み込む前に多大なる水圧に襲われた。そして更に見えない死の灰にも・・・・理不尽極まりない事なはずだった。


  当時の話に戻ろう。散々歩いて漸く田沢湖についた。もう辺りは暗くなっていて、街灯の少なさも相まって辺りは何も見えない。安宿のガイドブックを開く。ここから目指す宿までは少し山を登ったところにある。まだもうちょっと距離はありそうだ。

「すみません、到着予定時刻より1時間は遅れてしまいます。夕食はそちらで食べます。」

  ことわりの連絡を入れて道を急ぐ。ここら辺は観光地で、今までの道中にはなかったご立派なホテルが沢山あった。目指す宿は道の分かりにくい場所にあり、行ったり来たりを繰り返しながら漸く辿り着いた。一軒家の家族が副業的にゲストハウスを行なっている宿だった。本日客は私一人きりだったので、八畳の部屋を一人で占有できた。夕食を家族と一緒に食す。

  「うちあまり宣伝してないんだけど、何で見つけたの?」

  「ブックオフでとあるガイドブックを買いまして・・・・」

  「何しに来たの?」

  「被災地の様子を見ておきたくて。ここら辺は震災時どのくらいの揺れでしたか?」

  「震度4くらいかな?」

  大将のいた神奈川は震度5弱。直線距離ではここの方が近いのに、震度は低いのである。地震は直線距離ではなく、震源に隣接する断層に沿っているかどうかで揺れの大きさは変わってくるという。震度4くらいだったので、ここら辺は特に大きな被害はなかったようだ。

  「時間があれば下北半島の六ヶ所村も見てこようかと思います。」

  「おれも車で行った事あるけどね、あそこら辺ってほんっと辺りに何にもないんだよね。あれの側だけ広い道路ができててさ、あれでもっているような感じ。気が向いたら被災地の方も行ってみるといいよ。起きてしまった事だからね・・・・」

  直線距離は近いのに、私以上に遠い。同じ東北でも、東とこちらとは別の世界なのだろう。

  風呂に入る前に便意をもよおした。あれだけ沢山出たというのに。出たのは水様便だった。風呂の中でしたら大変だ。八畳の広く静かな部屋の布団中で、明日以降のスケジュールを考える。東海岸沿いに行く事は決めていたが、具体的に何処に行くかは全く決めてなかった。こちらに来たのは、たまたまガイドブックにこの宿の事が載っていたからである。

  翌朝朝食を食して宿を出る。一昨年の旅で行けなかった鶴の湯温泉に行く事にした。近くのバス停から一本でたどり着く。ここ乳頭温泉郷の中でも最も旧い温泉で、秋田藩主の湯治場だった由緒ある温泉だそうだ。警護の武士が詰めた茅葺き屋根の「本陣」が残っている。湯は乳白色で混浴だったが、土曜ワイド劇場の某連続殺人事件のような温泉ギャルはいくら待っても現れなかった。元々こういった東北の温泉は、農閑期の冬の間数日〜数週間かけて滞在し、じっくりと疲れを癒す場だったという。今回の旅でも、行く先々でいいところが見つかれば行ってみたかった。

  田沢湖の近くまで戻って来た。日本で最も深い湖だそうである。本日は何処に泊まるか全く決めてない。一度盛岡にまた戻り、そこから東を目指す前に宮沢賢治の故郷花巻を訪れる事にしよう。電車に乗ると、あっという間に盛岡まで戻って来た。昨日一日かけて歩いたというのに・・・・歩く旅は味があるが、できる総量に限界がある。更に南下して花巻に辿り着く。そこでイーハトーブ館と宮沢賢治記念館を訪れる。だんだんと日が暮れてきた。更に東に行けるだろうか?  駅の近くにビジネスホテルがあるが、5000円強とちと高い。ここら辺にいい安宿はないかとガイドブックを見る。遠野にユースホステルがあるではないか。早速電話をかけてみるが、

  「すみません、今日はもういっぱいです。」

  断られてしまった。