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  そうそう、何度も沖縄に旅行に行きながら、一度もその事をここに書いた事がなかった事を思い出した。備忘録とするにはちと時間が経ち過ぎだが、一応書き残しておく事にする。時間が随分と経っているので、記憶が曖昧で、別の場所に行った時の記憶とごっちゃになっているかもしれない事をご容赦いただきたい。
  あれは今から7年前。民主党に政権が移り、鳩山政権が普天間基地の移設問題を扱っていた時の事である。最近も辺野古に一部移設が決まり、沿岸の埋立工事がつい最近始まり問題となっているが、当時の政府民主党はまた別の角度から移設について問うていた。私がよく見ているネットニュース番組でもその事が取り上げられ、司会者の一人が沖縄好きという事もあり、様々なゲストとの対談の特別番組が組まれていた。ちょうど同じ頃、私の住む地域の市立図書館の蔵書を検索していたら、沖縄の安宿を紹介するガイドブックを偶然にも見つけた。那覇近辺では1500円程でベッドを借り泊まれる(ドミトリーという。ユースホステルを更に簡素化したような形だ)宿がザラにあるという。俄然興味がわいてきた。ちょうど有給もたまっている事だし行ってみる事にした。
 「台風も終わりベストシーズンじゃないか。レンタカーを借りるならば、古宇利大橋にでも行ってみるといい。備瀬のフクギ並木でのんびりするのもいいかもね。」
 旅行会社の友人からそんな返事が返ってきた。6/17、羽田から沖縄那覇空港に飛び立つ。飛行機に乗るのは9年ぶりだった。九州を旅行した帰り、広島での震度7の地震のお陰で東海道新幹線が止まり、博多で足止めを食らってしまったので、仕方なく福岡空港から乗ったのが人生初の飛行機だった。後から考えれば格安航空券を使えばずっとずっと安く行けたのだろうが、この時はまだ気がつかなかった。
 那覇空港を出ると蒸し暑さとともに日差しの強烈さに圧倒された。気温だけならば東京や熊谷の方が上ではあるが、亜熱帯特有の日差しの強さは、ライターか何かで皮膚を直接焼かれているとでも考えなければあり得ないくらいだった。当然ながら皮膚のケアが大切になってくる。半袖だと二の腕から下の出ている部分が焼けに焼け、火傷を負ってしまうので、日焼け止めが必携だった。周りを見渡すと長袖で歩いている人もチラホラといる。変に日焼けをするくらいならば長袖の方が良かったりするのだ。
 2002年から走っているゆいレール(モノレール)に乗れば今日の目的地首里城までは直ぐに行きつける。しかしそれでは味気ないし、そもそも私は沖縄の全体的な地理がどうなっているか、現地に来るまで知らなかった。那覇が沖縄のどの辺にあるかすら知らなかったのだ。だが元々見知らぬ街をぶらつくのが大好きだったので、それも苦にならなかった。行けるところまで歩いて行ってみようと思った。
 ・・・・とは言うものの、家の近所を歩くのとはわけが違う。先程書いた通り暑いし、何より着替えやらタオルやら、旅行に必要な一式が全部バッグに入っているのだ。しかも私のはキャリーではない。7kg前後の荷物を背負って行かねばならぬのである。時間をかけゆっくりと、沖縄の街がどんなものか、見渡しながら歩いて行く事にしよう。
 なるほど。本島からかなり離れて亜熱帯の地域にあるためか、周りにある植物が全然違うのにまず驚いた。まず那覇空港から市街に行く途中の街路樹はヤシの木のようだし、脇に生えているのも、やたらと葉が大きくて、関東ではまずお目にかけないものばかりである。それと気のせいか、心なし風の香りが甘いような感じがする。サトウキビか何かの香りがここまで飛んできているためだろうか?
 ずっと一本道の道路を歩き、漸く街のようなものが見えて来た。明治橋の下は海になっており、左右を見ると遠くの空が見渡せる。自分が今までに肉眼で見て来た海の中では一番綺麗なもので、これが見れただけでも沖縄に来て良かったなあと思えた。携帯で海の写真を撮り、弟に送る。そして通りすがりの食堂にて沖縄そばを食す。はて、うどんのような麺なのにそばとはこれいかに?  調味料群に見たことのないものがある。瓶の中に赤唐辛子が黄色っぽい液体の中に沈んでいる。コーレーグースだ。赤唐辛子の泡盛漬けだった。これから数年後、芝居の沖縄公演を行った時、皆で食堂で昼食をとった時、主役の子が入れすぎて困った顔をしていた事も伏せて思い出した。
 那覇の臨海の辺りは綺麗に整備されていて、まるで横浜や桜木町のようだった。街の上の方をゆいレールが走り、無駄にスペースを専用しないように計画されているのだろうか。そろそろ歩き疲れたので、旭橋の駅前に着いたのをきっかけにしてゆいレールに乗ってみる事にする。といっても、それ程長くは乗らない。数駅乗った後安里駅にて降り、また首里の方面に向かってゆっくりゆっくりと歩き進んでいった。ゆいレールは那覇をクネクネと曲がるように走っており、地図を見ると真っ直ぐを通っている道を直進した方が速い場合が多い。安里〜首里間もそのように見えたからである。駅の裏通りは飲屋街になっており、スナックや小さい飲屋がたくさんあった。しかし・・・・どれもこれも名前や佇まいのセンスが三昔半くらい前のものだった。夜中に歩いていると店からけんさんが出て来て、絡んで来たチンピラをむしゃくしゃついでに殴り殺してしまい、ムショを出てくる時に何色かのハンカチを用意してほしいと妻に言いそうである。ちょっとした昭和の思い出横丁に迷い込んだような感じだった。沖縄は本島と切り離されているので、ガラパゴス的に昔のものがそのまま残っているのかと思いきや、おもろまちの新都心の方に行くと、小綺麗なショッピングモールやら県立美術館があったりする(実際にそちらに行ったのは次の回に来た時の事ではあるが)。古いものと新しいもののギャップが面白かった。