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アイランド

…を観てきました。クローン技術が発達すると、必ずブチあたるだろう問題、クローンの人権問題。本作は将にそれに触れていました。そう遠くない未来、クローンをとある施設内にて養殖し、その中で理想郷のアイランドをめざすように教育される。あるときそのカラクリに気づいた主人公とヒロインが、人間の自由を求めて脱出するという話。施設内でアイランドを目指すように教育されるのは、人間は大きな目的がなければ邁進していきられず、商品となる臓器が退化していくという理由からである。

臓器移植はどんな他人からのよりも、本人と同じ細胞からできた、限りなく同一人物に近い存在のもの=クローン のものが一番フィットするはずである。クローンの人権を考えず、施設の中で培養する企業が出てきてもおかしくない。本作の中ではクローンの培養は企業秘密とされていたが、うまくやれば合法的な事業になりそうである。
またどこまでをクローンの人権とするかも、様々な観方があるのではないか? (注・これはクローンを作る企業側から考えた戦略です。)成人の姿で誕生するまで入ってる人工子宮の中にずっといる状態で、アイランドをめざすように教育する分には(本作では出た後、ずっとテレビずけにして、オウム信者のように洗脳した)、全然人権侵害にはならないのではないかと思う。本作中の彼らは、人間の姿をし、人間と同じ様な知能を持っているからこそ、「人権侵害なのでは?」と騒がれるのである。そうではないと定義できる何かがあれば、よかったのではないか? 家畜の養殖よりもずっと良心的だ。コンピューターに完備された快適な施設内の生活の中で生活しているわけだし、たとえ作られたものにしろ、アイランドという大きな生きる目的がある。主人公のような疑問さえ持たせないように手配すれば、安定してその役割を終えることができる。世の中には食うものもない人達というのは世界にたくさんいるはずだし、もっともっと奴隷のように虐げられている人達というのはいるはずである。

 (追加)西洋人のいう自由とは、どこに限定を設けるかを選べる自由である。施設内の快適だが目的がアイランドだけの選べない自由か、外の目的は自由でものたれ死にをするかもしれない、自己選択のできる自由か、選べる自由である。その自由が選べる人は幸せである。生まれついた環境や状況・経済的理由で、人の選べる自由など限定されてしまうのがもとの人間社会ではないか? (限定種類の選べない)限定されている世界で、必死に役割を果たすのが人間社会なのではないか?と思う。そこで本作主人公の不満というのは、施設という選べない限定の中で、アイランドという確固たる目的があるのはいいにしろ、コミュニティの中で何らかの役割(仕事のような、周りの人間と連結した、決定的な何か)がないことである。ここにこの施設の弱点があったのではないか?

 いやむしろそれらよりも、「所得の格差」というものの圧倒的な差を感じられた映画だったといえる。主人公の本体は有名な映画スターか何かのようだったが、自分のクローンを作り、その生活が施設レベルまで保てるというのがすごかった。世間には本体が食うにも困るというのに・・・いやいや、今でもそのような構造は世界に確実に存在する。貧しい第三国家にて胎児の売買というビジネスはある。色々なところを経由し、化粧品になるそうである。胎児の若々しい(無論である、生まれてすらいないのだから)液が、お肌の若々しさを保つということである。かたや自分の子供を売り出す様な貧困さがあり、かたや自分の肌の皺が少し増えたくらいでとても気になる金持ちがいるわけである。

 さて映画中身の感想の続き。アクションシーンがこれでもかと出てきた。まあ、ジャンルの分類上はアクション映画なのだろうが・・・近未来なので、未来の乗り物・スカイバイクとでも言うべきか、空飛ぶバイクでのチェイスが格好よかった。しかし、成人の体力・15歳くらいの知能を持ったクローン脱走者が、あれだけのチェイスをできるかという疑問が残った。まあ、人間必死になれば色々とできないことはないだろうが、車の運転もずっと今よりも楽になっているだろうが、追跡のプロを振り切る事なんてできるのか・・・?って考えてしまうとアクション映画そのものが観れなくなっちゃうんだろうなあ。

 色々文句ばっかりだけど、オチがちょっとベタなのは仕方がないにしても、私は面白かったです。