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  ●第二節 本作の構成

 本作は、三冊のノートと一枚の手紙によって構成されている。


 ◎「おまえ」への手紙時間的には灰色のノートの後に位置する。妻がS壮に来た時、三冊のノートに先立って読んでもらうためにが用意した。

 ◎黒いノート九月以前から翌年の三月上旬までと、5/26の記録。S壮の説明と、火傷をしてから仮面政策を思いつき、街のデパートの食堂で見知らぬ男に顔の型をとらせてもらうまで。顔に火傷を負った事で生活に支障をきたし、世間にあふれてる顔や顔の表現に過剰に嫉妬する様子が書かれている。

 ◎白いノート―三月上旬から5/31までの記録。街からの帰りから、仮面を完成させ、玩具専門店で空気拳銃を買うまで。様々な試行錯誤を繰り返し、ようやく仮面を完成させて街を歩く。覆面の時とはうって変わって「心をはずませて」いる様子が描かれている。銃を買ったとき、仮面が「ぼく」にまるで人格が分裂したかのように話しかけてくる場面がある。仮面は「ぼく」に、「誰でもないもの」になりたいと打ち明ける。

 灰色のノート5/31から八月上旬(?)までの記録。仮面をつけて「おまえ」に初めて会いに行く所から、「おまえ」を誘惑し、仮面劇をうちあける決心をするまで。仮面について様々な思考をめぐらせるが、中でも酔ったときにする仮面の大量生産の空想は、「国家自信がひとつの巨大な仮面」にまで発展する。「非ユークリッド的な三角関係」にたえきれなくなった「ぼく」は、仮面を葬り、いっさいを「おまえ」に打ち明けようと決心する。

 ◎「自分だけのための記録」「妻の手紙」―「灰色のノートを逆さに使って、その余白に、最後から書き加えられた」という形をとる。「ぼく」は、「おまえ」が自分の所へ戻って来てくれると信じて待つが、手紙により仮面劇が「一条の茶番劇」にされてしまったことに腹をたて、再び仮面をかぶり、銃をかまえて「おまえ」が来るのを待つ。ここで急に「ぼく」の記録は終わっている。


 *以上の通りであるとすると、「おまえ」がS壮に来て手記を見たのは八月上旬頃になるはずである。ところが黒いノートの始めには、「ぼく」が初めてS壮に来た日(つまり5/26)を、「半年前(つまり六月中旬ころ)」といっている。そしておまえに宛てた手紙の中には、「夏が来る前に、なんとかけりを付けてしまいたいとある。黒いノートは第一稿を書いた時の日時からそのまま5/26までの日数を数えてしまい、修正し忘れていたとすればつじつまが合うが、「おまえ」宛ての手紙はどうなのだろうか。この手紙はおそらく、「ぼく」が三冊のノートをしあげ終わる前に書いておいたものだろうと思われる。「夏が来る前に」であるから、7.8月ではない。とすると6月のいつかということになる。


 *自分だけのための記録の中で、化粧嫌いをあらためて感じている場面がある。(p259)だがそのすぐあとで、()で補って補足している。「もっとも、今は違う。今なら、その後に、こんな風に続けようと思う。」ここで言われている今とは、一体いつのことだろうか。この後仮面をつけ、「おまえ」を待ち銃をかまえた後「ぼく」は記録を書くのをやめてしまうから、やめた後でないことは確かである。しかし、これだけ焦って妻を探している最中に、記録など書けるものだろうか? 誰か他人に見せるわけでもない文章に追記を加えるのか、という疑問が出てくる。

 これは、「自分だけのための記録」をつけている「ぼく」の心境にも考えられる事だが、「ぼく」は今までの仮面劇が一場の茶番劇にされてしまったことに対する焦りと動揺を抑えるため、今までの自分の気持ちをできるだけ整理しようとして「おまえ」に書いた手記を見直し、これから先の気持ちを平静になるように調整するため、記録を書き続けたのではないだろうか? そして前に書いた化粧嫌いについては今と少し違うと感じ、気持ちを少しでも整理するため追記の()をつけたしたのではないだろうか?


 *「妻の手紙」は本当に「おまえ」が書いたものだろうか? 「おまえ」がいかにも手記を見たかのように、「ぼく」自身が手紙を書いたのだとも考えられなくはない。確かに本作の一番初め、「はるかな迷路のひだを通り抜けて、とうとうおまえがやってきた。」というのは「ぼく」の想像で、事実ではない。「ぼく」がアパートに引き返したときには「おまえ」はいなく、手紙のみが残されている。「おまえ」が確実に手紙を読んだという証拠は見つかり難い。だが私は「おまえ」が手記を見て手紙を書いたのだと思う。

 手紙の最後に二行半ばかりの削除があるが、これはなぜあるのだろうか? もし、「おまえ」が手紙を書いたとすると、考えられる点は二つある。一つは「おまえ」が、手紙を書いた後見直した時、何か思い違うことがあると気づいて消したのだろうという理由である。下手に消した後を読まれ、「ぼく」に複雑な解釈をされるのを恐れた「おまえ」が、判読不能なまでに消したのだと考えられる。もう一つは、「ぼく」が消したのだという理由である。「ぼく」がてがみnの内容を、「自分だけの記録」に写し終えた後、最後の二行半にとても腹が立ち、書いていたペンでグチャグチャに塗りつぶしてしまったか何かして、判読不能になってしまったという考え方である。「(つづけて、判読不能なまでに消された、二行半ばかりの削除あり)」というのは、「ぼく」が書いた文字ではなく、本作の読者のために著者安部公房が補足としてつけたした手記の状態だという解釈である。

 ところがもし、「ぼく」が自身で妻の手紙を書いたとすると、判読不明にまで消す理由がわからないのである。手紙を書き終わり、最後の二行半を「ぼく」が思い直し、「おまえ」はこうは書かないだろうと思っても、不通に消せばいいのである。「自分だけのための記録」は他人に読ませるものではないはずだから、妙な小細工を使い欺く必要もないはずである。もし自分をだますとしても、理由がわからない。結果が「おまえ」に対して殺意を抱くのなら意味がないし、手紙も書くとしたら、もっと自分に肯定的な内容を書けば今までの苦労が浮かばれるはずである。

 黒いノートの最初で、「ぼく」は日記を開いている。初めてS壮を訪れたときの記録を見ている。

 「《五月二十六日。雨。新聞広告をたよりに、S壮を訪ねてみる。私の顔を見て、前の中庭で遊んでいた子供が泣き出した。(中略)》」

 「ぼく」は日記を元とし、この手記を書いたのだ。(まさか、。一年くらいの出来事を空で事細かに思い出しているわけではないだろう。)手記と違うところは、自分のことをぼくではなくと表記していて、きわめて事務的に書かれていることである。逆に手記は「おまえ」が読むことを意識してか、「ぼく」「おまえ」に話しかけるようにして書かれている。そして追記や欄外註で補われ、当時の「ぼく」の気持ちを、今の「ぼく」ができるだけ客観化させようとしている。

 日記→手記→訂正された手記と、「ぼく」は書くことに段階を経ることで、自分だけの記録から、他人「おまえ」へと届かせる伝達物へと発展させているのである。そのことについて、池淵剛氏は次のように述べている。

 《形態の設定、あるいは修正の過程が作品に残されている事実は、公房において書く行為が強く意識されていることにほかならない。だとすれば、作品内において読む行為自体も当然問題とされているのではなかろうか。「おまえ」宛ての手紙と三冊のノートはいずれも、「おまえ」という読み手が存在しなければ作られることのなかったものである。また、そのノートにおける修正は、読み手との位置関係の変化、あるいは読み手の変化を表すのではないだろうか。》(「安部公房の『他人の顔』論―文章構成の形態とテーマをめぐって―」池淵剛 文学研究論集平成八年三月号)

 「おまえ」という読み手がいるからこそ、「ぼく」はこの手記を書いたのだ。

 ところが、灰色のノートの後、「ぼく」の手記は「自分だけのための記録」(つまり日記と同等)に退化する。そしてその後、日記を書く事すらやめてしまう。日記は他者に届かなくても後で読み返し、当時の気持ちを客観化できるものであるが、それすらやめてしまうとはどういうことだろうか?

 「あなたに必要なのは、私ではなくて、きっと鏡なのです。どんな他人も、あなたにとっては、いずれ自分を映す鏡に過ぎないのですから。そんな、鏡の沙漠になんかに、私は二度と引返したいとは思いません。」(P268)

 日記を読んだ「おまえ」の感想である。そしてその手紙を読んだ「ぼく」も怒り、「野獣のような仮面」へと変身する。両者とも手紙なり手記なり、相手へ思いを伝達するものを読んでの行動だ。だが二人とも、今まで以上に離れてしまうのである。

 「おまえ」は手紙の中で、「ぼく」「他人知らず」だとも書いている。だが「他人知らず」の人間にストレートに「他人知らず」であることを伝えるのは、適切なことだろうか。結果が「ぼく」「野獣のような仮面」への変身である。相手がどのような人間か見抜けても、それを指摘したらどのような受け取り方をするか見えていないとは、「おまえ」も「ぼく」程でないにしろ、少なからず「他人知らず」なのではあるまいか。この後、「ぼく」「おまえ」を射殺したという保証はないが、「自分だけのための記録」にも書けないようなことを「行為によって、現状を打開」するためだけに行ったのだろう。記録の終わりと供に、「ぼく」はこれまで以上に他人への通路を閉じて生きていくに違いない。

・・・(4)へ続く。