安部 公房

 「バベルの塔に入るには、シュールレアリズムの方法でなくてはならぬ」(安部公房「壁-バベルの塔の狸」より)
 バベルの塔は、旧約聖書に出てくるニムロデ王が作った天まで届かせる塔です。まあ、権力者が考える事は今も昔もかわりませんね。貪欲に権力を確固たるものにするための底なしの権力追求は、とどまることを知りません。しかし本作でいうバベルの塔とは、権力者のめざす神の住む天国でなく、芸術家のめざす地平です。つまるところ、芸術家の右脳の中にある世界実現です。こちらも追求すればする程、とどまることをしりません。どちらのバベルの塔をめざすにしろ、両方とも元は同じ人間だったのではないかと思うのです。ヒットラーだってもとは画家をめざしていたわけだしね。そして辿り着くところはどちらも同じ、孤独であること。大きすぎる権力を持ちすぎて、周りの誰も信じられなくなり、権力の中に生きながら埋葬された者=己の道を極めすぎ、世間から逸脱していったものとなるわけです。全く正反対で、互いの存在を見下しあっている二人が、実は同じ穴のムジナだったわけですね。ただ、己の実現の方法論の属性が違うだけなのですね。 前者は現実のてっぺんに、後者は真実の真髄に己の存在を見つけようとしたわけです。しかし、どちらも社会への存在の仕方としてはうまいものではありません。庶民が暮らす社会一般とは、二つの塔のちょうど中間にあるものではないでしょうか? いやむしろ、バベルの塔なんてみつけなければいいものかもしれませんね。登るにしても程ほどに。社会における自分の居場所を確認するくらいが丁度いいのかもしれません。あまり登りすぎると、周りの人の顔が見えなくなってしまいます。

 バベルの塔の狸の主人公k・アンテン君が最後にバベルの塔を出た様に、私も社会に根を張った一庶民として、思うことを書き並べていこうと思います。バベルの塔の頂上に天国を見つけるのではなく、地上に天国を構築して行きたいと思います。まあ、煮えたぎった行くあての無い天国であることは確かですが・・・