嫌な気分に支配されると
当然、”嫌”ばかりになる。
最近は、癖にでもなったかのように
そういう気分に襲われる。

何を意味しているんだろう?

嫌な気分に支配された場合、
それを取り払うのには
どうしたらいいだろう?

1,流す
2,考えない
考えない、って言うのはどうなんだろう?
もし、それが重要なことなら?
きちんと言葉でしっかりと話をしてくれない相手なら
どうしたらいいだろう?
こういうふうにしているということは(対応のこと)、
つまり●●●ということだよ、
と捉えていいのだろうか?
つまり、束縛するな、仕事の邪魔するな、自由にさせてくれ、
ということかな?
連絡はしたいときにする、したいと思ったらお前からしてくればいいだろ、
まあ、こういうことかな?
3,向き合うということ
もう疲れてしまって、向き合う気になれない
向き合うのにはそれ相応のパワーがいる


ここで何を思うかというと
感じるのは不安。
何が不安?
よくわからない、でも不安。
こうしていこう、ああしていこう、
連帯感を感じることが出来ない、ということかもしれない。
突き放す言葉だけのように思えるから。
それで一緒に生きて行けるのだろうか?
ドライな結婚、ドライなパートナー、
それを受け入れることが出来ず、不安になるばかり。
受け入れることが出来ないのは
器の大きさとかじゃなくて
私の”結婚”において
譲れないものなのだ。

突き放す印象が大きい。
大きすぎて、それが顔を出すと
途端に嫌になる。
そういうことだと思う。
連帯感、一体感、包容力、
こういったものを感じたい。
でも、感じられない。
これが現実で、不安の大きな原因だと思える。
”自分の勝手と都合”
これが彼だと思う。

ずっと考えてばかりいる
胸の奥のほうが痛む
痛みは、誰しもとりたくなるものではないだろうか?
何を話すでもなく
何が良い方向に向かうでもなく
時間は刻々と過ぎ
自分の中で何かが淀んでいく
流れが悪くなる
stopしてしまう
つっかえたものがとれない
とりたい
でも、取り除く作業は
もっと痛みを伴うんだろうな

右にも左にもいけず
じっと立ち尽くす
口に出すと、文句ばかりと言われてしまう
文句なのだろうか?
文句なのかもしれない。

私は私の中に何かが十分に行き渡り
浸透するのを待っている。
けれど、それは不可能に近いのかもしれない。

1週間のうち、少しでも楽しい日だったと思えたら
それで満足するべきだろうか?

私は幸せに向かいたい
幸せに向かいたい
向かうには何が必要?
何が不必要だろう?

ドライは冷めたものを作りやすい
そのことを彼は知っているのだろうか?