今日から11月になり、すっかり秋・・・もう冬ですね?

最近、迷いや悩みや落ち込みがやたらと激しい。
そんな渦中にありながら年下の友人達からは相談を受けることが多い。
人の悩みを受けるほうが自分のことより楽だったりする。
多分私は自分の人生を好きなように気ままに生き、苦しそうでも、楽しそうにやっているように見えるのでしょう。
しかも離婚もしているので、何言っても笑ってくれる許容範囲の広い人間だと思っているのかもしれない。
”自由でいいねえ”、ってよく言われます。
そんな私ですが、自分の心は決して自由で気ままではないのです。
やっぱり32歳だし(年齢は関係ないようでも、年齢によるプレシャーはあるので気になるのです、いろいろね)、
この先の人生を豊かで楽しいものにするためにしっかり考えねばと日々、思うのです。
思い過ぎてなんぼ、くらいの勢いで不眠で考える日々です。自由気ままな気分じゃ決してない、ってこと。

さて、私は自我も自愛も強く、良くも悪くも個性的な人間です。
転職活動をする私、結婚するかもしれない私は
どれだけ成長したか、どんな人間だっけ?とか、仕事って?パートナーって?幸福って?愛情って?
そこからどんどん事を展開させ一人静かに自分に問い掛けています。
一人静かにしておけばいいのかもしれませんが相手あっての結婚なんていう場合は
相手へも問い掛けています。その結果、喧嘩勃発率upでした。

私は究極の個性崇拝者でもあります。
自分の個性、他人の個性、良かろうが悪かろうが正しかろうが正しくなかろうが
魅力を感じてしまえば大好きでしかないのです。

好きなもの::
大抵、”●●であり、且つ○○”というのが好き。”且つ”です。
つまり人も美術も文学も、両極の魅力を兼ね備えたものが好き。
両極を狙ってる感は嫌い。なんとなく、自然にそうなってしまっている、そうなってしまった感が好き。
牡羊座なので首位打者的立場です。打法は滅多打ち。
投球は乱投。可もなく不可もなくの男の人にも職場にも心魅かれない。
可か不可の人が好きで自分も可か不可である私です。
32歳でこれで良いんだろうか?
まるで昔から変わっていないような気がします。

個性、いや、アイデンティティ(といったほうがしっくりくる)
というものは一生をかけて解いていく命題だろうなあ。

最近、自分とは全く違うタイプの人間の近くにいるせいか
その時々の自分のアイデンティティが危うくなることがある。
私は良くも悪くも、非常にハッキリした意思を持つ。
が、その人はビックリするところからボールを投げてくるので・・・
投げてるんだろうか?まあ、それすらわからないくらい衝撃を受ける、
消える魔球かミラクル変化球みたいなものだ。
そのせいか私の頭は迷路に入ってしまったようになるのだ。
だけど、そんな彼がまるで子供みたいに、本気で直球を投げてきたりすると
更に衝撃を受ける。彼の直球は、重く、スピードもあり、かなり至近距離から投げつけてくる。
当たったら、多分、死ぬかもしれないくらいの痛みを伴う。
そして結果、私は大抵半殺しにあっている気もします。

結婚についてはまるで執着がないような私だけれど
実は幸せ、愛情というものには執着している。
さらに成す術をもたない子供のようなところがあるので
相違点をうまく合わせていけないのです。私の過去が邪魔をしているのだと思う。
それをもしかしたら捨てるときに差し掛かったのかもしれない。
差し掛かったのだ、あるいは、差し掛かったのかもしれないということ
それが腹に落ちたことはプラスかもしれない。だってね、それって、そういう時期だということだと思うの。
腹に落ちるとき=そういう時期!!
でなきゃ頑固な私は抵抗しまくり、受け入れっこないことだと思うから。
納得できないことは受け入れられない性格です。
(納得しなくても受け入れなきゃいけない類いのことはしっかりわかっているつもり)

また私はプライドもまた意外に恐ろしく高く、
(今も高い。が、今は捨てていいプライドと
持つべきプライドの違いがわかっているつもり)
設定するゴールというものは最初から自分の実力に対して高めが良いはず。
だから、最初はちっとも先が見えなくて手探り状態の時期が続き、
本当にできるのか自分でもわからず結構辛い。だけど、たった1つは必ず私は目的を達成する。
何も達成しないなんてことはあり得ない。たった1つ、絶対というものを掲げた場合、それは必ずクリアする。
掲げた目標に対しては200%の努力をするので、
掲げた目標は大抵達成している。
不安になっても、いつもそうしてきたじゃあないか、と振り返る。
どうでもいいと思わなかった大切なこと、必ず達成するはずなのです。
内心では鼻息が荒くなりそうですが、見た目だけでもクールでいたいものです。

さて、私は大きな岐路に立っている。
まず、記念日が近い。
彼と結婚を約束した。正式な婚約は11月下旬~12月の予定。
正式な婚約まであと、わずか。
この1年を振り返ると涙を何度流しただろう?
どれだけはしゃいだ気持ちになったろう?
どれだけ人を傷つけただろう?
こんなに人との違いが辛かったことがあっただろうか?
そんな1年です。

なんとなく笑える今日だったりします。
今日まで正直、ほんとしんどかった。
打法は滅多打ちでも、投球は乱投でも、よく頑張った!
可もなく不可もなくな私であったら、きっとこの1年はくぐり抜けきれなかっただろうと思う。

いい意味で、放任で革新的でありつつ且つ保守的で進歩的な彼のそばで
ほんとにまいった。絶対左脳な異人種との交流は、時には全く言葉も通じない。
天地がひっくり返ったかのように驚く日々は200日はあったように思う。
ドライやウェットという言葉を調べたりもした。(彼は決してドライではない、複合型だと思う)
”・・・って、どういうこと?”という疑問が湧いてきて、それは”どうして?なんで?”に変わり、
言葉のやりとりの中で苛立ちや不安に変わっていった。時には向き合うことをやめてしまおうと思った。
厄介な彼に厄介な自分。
知らない自分や自分の魅力のなさとか思い詰めた。
怒りくるう彼の冷たい言葉とかにも落ち込んだ、
けれど私は今日、ブレイクスルーした気がする。
楽になれたのだ。
何度も本当は捨てなくては、と思いつつ捨てられかなった過去とプライドが
彼の【成功事例と情意】という話と、恐ろしい怒りをあびせられたあげくに
出て行くために予約した引越便をキャンセルしろと、散々きついことを言っておきながらも、
やっぱり怒り、とにかく怒り、(ひきとめるなら普通は優しいはずなのでは?と思うのだけど)涙を流して、子供のように
”今すぐキャンセル、目の前でキャンセル”そう言って子供以上に子供のような力づくのストレートな彼に崩れ去ったのである。
その後、昼間のキャンセル事件の関連から、もう一波乱起こし私の過去とプライドは完全に崩れ去った。
悔しさと寂しさも消えた。もう脱出できないんじゃないかと思えたスパイラルだったのに。
我ながらな妙な自信の取り戻し方だと思う。彼の不眠は今日でお終い。安眠させてあげないといけない。

たまに怒りを感じて今後も彼と喧嘩をするかもしれない。
そして彼も怒りの炎で腸が煮え繰り返るのかもしれない。
それでも一緒にやっていこうと思う今日です。
少しずつでも必ず、きっと。

もういいや、とそう思える。
彼は私を大好きで、私は彼を大好きなんだ、そう思える。
不安になることなんて何もない。
何かに執着し、自分とはまるで違う相手に不安を感じた。
これまでのやり方を崩すことができなかった。
それが今までの私の幸せの定義であるところでもあったから。

32歳でも進化はできるのだと思う。
私は思ったんだ。
たぶん、初めてだと思う。
”私を受け入れて”、ではなく
”私が彼を受け入れよう”、って。

【即身成仏】
これがここまで心と身体で理解するまで11ヶ月かかった。
お互いが良い具合にお互いを受け入れることができそうだと今は思う。
これでいい形にぴったりになることができそう。
【即身成仏】
またこれをもっとわかっていけるのかもしれない。
どっぷり浸かっていたものからの1回目の脱皮だと思う。
脱皮の前というのは最後の血反吐というか身体も頭も痛いものかもしれない。
っていうくらい、最近はひどかった。

ドライもウェットも、
両方とも、その関係性によって
同一の人物に複合し、存在するもの。

温かい人間関係(恋人、家族、友人)においては
ドライはお勧めできない。
ビジネスセンスでは、ドライであることで
広く動くことができる。意思決定のスピードをあげる場合もある。
どちらもバランスよく調合されるのが良いのです。

この1年はぶつかってばっかりだった。
お互いの両親にまで結婚の挨拶、報告、許可までとって約束しながらも不安になってばかりだった。
正式な婚約まであとわづか。
間に合った。
強行スケジュールというか、順番が違うというか、
そんな状態で結婚だの、って・・・。
だけど、そんな無理なタイムスケジュールで私は良かったのかもしれない。
やっぱり、それって大丈夫?的な無理感があっても
”絶対”と決めたことはこれで達成できそうだ。
勿論、まだまだゴールではない。正式な婚約までまだ日がある。
さらに入籍まではもっと日がある。そして、結婚した後もまだまだ死ぬまでいろいろあるはず。
いつも、ゴールしたら同時にスタートだと思っていよう。
いつも、大事なもののために納得した上で受け入れることをやっていこう。
大嫌いなものまで好きになることが出来る機会、絶対受け入れたくなことを
受け入れられるようになる自分を
悪くないと思える。むしろ好きだな。

いつも、大逆転できるのかもしれない。
敵は自分であり、他人かもしれない。どっちでもいい。大逆転という言葉に少しワクワクできるなら
頑張ろうと思う。受け入れるということは大げさに言えば、戦争だってなくしちゃうものだ。
自分だけでない、他人のアイデンティティ、他人とのリレーションを第一とした今日からは
実り豊かなものであるはず。

子供を生むかもしれないし、
親が倒れてどうかするかもしれない。
しっかりと自分と他人をもみつめて生きよう。
ことある毎に新しい経験をするはず。
その度に苦しむシーンもあるのかもしれない。
でも、何にしても私は脱皮していこう。
そういう勇気を持っていい意味で心は自由に強く生きよう。

それを繰り返して、そうして最後の自分のアイデンティティというものは一体、何なのか
悟れるのかもしれない。

クラーク博士の【青年よ、大志を抱け】に続きがあるのを知っていますか?
私はやっぱり最後の部分が一番好きです。

Boys, be ambitious, not for money, not for selfish accomplishment,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for attainment of all that a man ought to be.
青年よ大志を抱け。金や独りよがりの功績のためではなく、
また他人が名声と呼ぶあの儚い物のためでなく、
人が備えねばならない物を身につけるために、青年よ大志を抱け。