日本公共広告機構だっけ? 「抱きしめるだけで愛情は伝わります」的なメッセージのコマーシャルをながしていたのは。
ユイコ、アレ、ピンと来なかったのね。というのも、ユイコが「抱きしめられなかった子ども」だったから。別にそれがユイコの家の習慣なので、特にさびしいとか、自分に子どもが出来たらガンガン抱きしめてやろうとかはないんだけれども……むしろ、なんでそんな欧米式の愛情表現をしなくちゃいけないのかがわからないんだけれども。そういう文化圏で育ったのなら抱きしめるという行為にも意味があると思うんだけど、日本の文化にはそういった慣習がなかったわけじゃない? そこまで欧米化しないと愛情って伝わらないのかね? 別に抱きしめなくっても、愛情は伝わるじゃんね? ユイコはパパに抱きしめられた記憶ってほとんどないけど愛されてたなって実感はあるよ。
でも、母親にはホントのところはきっと愛されていなかったんだろうなって感じはある。
別に虐待を受けたりしていたわけではない。むしろ環境としてはよい環境で育ったと思うし、躾もきちんとされたし、欲しいものは「大切にするんですよ」って買って貰えたし、ならいたいと言ったお稽古事はたいていならわせてもらえたし、いじめられっ子だったけど勉強が出来たから先生の覚えが愛でたく、贔屓され、めちゃくちゃ立場が悪くなるということもなかったし、塾に行けばふつうの友達だっていたし。
ただ、ユイコ母に関しては、愛されていたっていうよりはユイコ母の感情の曲線はフラットだったと思う。フラットな感情の線というものは憎しみよりも残酷な気がする。だって、眼中にないってことじゃん? 無視してるってことじゃん? 子どもに対してそれってどうよ??? ――まだ、過剰な期待のほうがいい気がする。
アレなのかなあ? よく下の子が出来ると上の子が親の愛情をひきたくて子どもがえりをおこすっていうけど、ユイコが生まれてパパの愛情がユイコにうつるのではないかとライバル視し始めた……みたいな。これだと感情曲線に波が出来ちゃうけど、でも、ユイコ母はまさにそんな感じ。それを突き詰めた感じ。な、気がする。
ユイコ母が腎臓を患っていたということでパパもユイコ母のことをとてもたいせつにしていたし、よく言えば、夫婦仲がよくっていいじゃない? てことなんだろうけれども、なんとなく、「子どもには○○をしてあげるべき。本にもそう書いてあるし、学校の先生もそう言っていた。私はちゃんと研究した。私は腎臓を患っているにもかかわらず普通のお母さん以上に頑張っている。××くんの家が学力テストに向けて1ヶ月前から準備するならウチは3ヶ月前から準備を始めればいい。そのために、○○すれば、子どものがんばり次第ではいい結果もついてきて、夫も喜ぶ。喜んで私の方を見てくれる」みたいな公式でユイコ母はうごいていたような気がする。ユイコはユイコ母はともかくパパに喜んで貰いたかったから頑張って勉強もしたし、スポーツもそこそこの成績を残すことが出来たんだけれども、ユイコ母に絶賛されたって記憶はない。むしろ、塾の定例試験なんかでユイコがいい成績を取ると成績表をいちばんにパパのところに持っていって褒めて褒めてという感じだったのがユイコ母だった。パパは必ず頑張ったなってユイコにも言ってくれるから大好きだったけど、ユイコのがんばりをまるで自分のことのようにアピールするユイコ母のことはそこはかとなく憎んでいたような気もする。
ユイコ母の中でいつでもいちばんたいせつなのはユイコ母自身だろうな。
ユイコの手柄は自分の手柄だったんだろうな。
それが専業主婦のせつないサガなのかね?
それは今でも変わらない気がする。「子どもには○○すべき。そうすれば世間も一目置いてくれて私の株も上がる」というのがユイコ母の至上命題であるように感じる。ユイコ母の行動にはユイコに対する愛情がない。だから、気にくわないことがあるとすぐヒスる。自分が高卒だから院卒のユイコやユイコ夫が見くだしてるとか言い出す。ホント、クソバカ女だなって思う。ユイコ母がヒスればヒスるだけクソバカ女だなって思う。また、そういうことが理解できないところがバカだなって思う。感情の行き違いとか、そういうのって学歴の問題じゃないじゃん。感情論はいったん横に置いておいて、何が問題だったのか、たとえば「○○な言葉を使ったのはよくなかったね」とか「○○な行為はよくなかったね」とかを冷静に話し合い、問題をひとつずつ解決していくことがたいせつじゃないの?
今更、あんなクソバカ女に愛されたいとは思わない。資金援助してくれるだけでいい。で、なるべく早く、手のかからない方法で死んで遺産を残してくれたらいいと思う。それだけのために、ユイコは親孝行なムスメのフリをする。
