あけましておめでとうございます。

年賀状を書かない歴 ゆうに10年の ものぐさです。
年賀状が届いたら メールでありがとうとか返しちゃうような ものぐさです。
でも 愛は込めています。(言い訳)

この年越しは両親のところにお世話になっていますが、
両親のコミュニティでは、まだまだたくさんの年賀状のやりとりがあって、
今朝も200通近くのはがきが届いていました。

子どもの頃は それを仕分けするのが大好きで、
分厚い束の中に 自分宛の10数通を見つけるのが 好きでした。
が なんでこの子から来るんだろう といった類の疑問を感じながら
クラスにおける自分の立ち位置とか 彼彼女の立ち振る舞いの本質について思いを馳せる
かわいくない子どもでもありました。

でも、そうやって
自分の存在や社会というものを 客観視していくプロセスだったのかなと
今になっては思ったりします。


さてそんなことはどうでもよくて
両親の年賀状です。


大学生までずっと なんだかんだ団地暮らしだったので
両親のところに年初のご挨拶が来る方々のうち 結構知っている人が多いです。

で、お向かいさんとか 上下の方々とか
母親が奥さま連中で長老(母失礼)になりつつあったこともあって 
若い奥さま方が よくお子さんを連れては遊びにいらしていることもあり
(今思えば、若い奥さま方…今のわたしより若かったりもしたわけですが!)
そういったお子さんと よく触れ合ったものでした。

子どもが子どもの面倒を見る的な。
長屋的なコミュニティ。


で、

そういうお子ちゃまたちが! なんと中学生やら高校生やらになっただとか!

そういう写真付きのはがきが来ていたりして!

びっくりするわけです。。。

0歳~3歳の子どもが、14歳とかそういうのになっているのって
ビジュアル的にすごく大きな変化なわけで。

えっと

つまり自分も14年歳とったわけ! という
自然な驚き。

いや自分だって 18歳のときと今と ビジュアルが同じだとは言いませんけれども
(言えませんけれども)
少なくとも
身長や体重という基本的な構成要素はほぼ変わっていないわけで
(歯の本数とか ね)

はっとさせられますね。


あんた、歳とってるんよ?っていうね。


だからつまり
基本的には前を前を向いて生きて行くのだけれども
今このステージだからこその やるべきこともやらなきゃいけないことも
考えて過ごしてかないと ならないのかなっていう
義務教育卒業後の自発的なto doを
なんとなく感じてしまう

ペースはそれはそれで 自由にあるわけなのですが。

赤ちゃんが学生になっていくように
種が芽吹いたりするのと同じように
ぐんぐんどんどんと
時間だけは平等に与えられているんだという戒めとともに。


そういう意味で
自分ではさっぱりと縁を切ってしまっている年賀状に
感謝の気持ちなんてものを覚える
本日元旦でした。


とかなんとか言いながら、
あと数日は Wiiとかしながら(人生初Wii!)ただのんびり過ぎ行くわけですけども…


この場を借りまして
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


今年の目標なんですが
今年は、我を捨てようかと思っているんですよ
少し。



このごろ、説明するのが面倒なことを説明しなくてはならないこと

が多く、ついつい「面倒くさい」が口癖になってしまっているので
「面倒くさい」を封印することにしてみた。

しかし、面倒なことは面倒なことなのである(これは書き言葉だからよしとして)。

なぜ面倒なのか。

それは ツー カー で伝わる相手じゃない相手と 話をしているからである。
それは 自分でも どれが正しいか分からなくって あれやこれや選択肢がある中で
さてどれを選んだら良いでしょうかという投げかけを するからである。

世の中は複雑すぎる。

事象が複雑なうえに
システムはますます複雑化し
選択肢はますます増えて混乱を極めているにも関わらず
世代間ギャップなる意識は未だ存在し
人間関係の複雑さは時を経ても変わらず

だから

独りでやるのが楽だもんねとなるわけで
独りで生きるのが楽だもんねと
生まれながらの過激派はそういう風にひねくれたくもなる。


なんのことはない
旅行の段取りの話なんですけどね。


最近 説明するときに
どのへんから始めればいいのか分からなくって
もごもご 口もごるじゃなくて口ごもることが多くなって
これって
相手への配慮を考慮した大人の階段上ってる的なことなのかしら
わたしはもう分からないわ


面倒くさいを封印したら もごもご説明するしかない



歌手のCharaさんが、MTV unpluggedに登場ということで。
http://www.mtvjapan.com/onair/program/2708/
ニュース記事になっていたのは、“やさしい気持ち”を歌いながら
泣いてしまった ということでした。

彼女の“やさしい気持ち”を わたしは多分、
彼女が旦那さんと別れた年の、ある音楽フェスで聴いたわけですが
そのときも
数曲目かで 彼女の声が震えていたのを思い出します。

わたしだって
居間でぼんやり歌っているときも
お風呂でぼんやり歌っているときも
なぜだか 歌詞に何かを重ね合わせて 
涙声になることって ある

そういう感情の露呈を
職業にしている彼女が
自分の書いた曲に乗せて どんな気持ちでいるのだろうって

久しぶりにその歌を聴いてみて
歌詞を眺めてみる

とげとげの気持ちで。

やさしい気持ちは

やさしい気持ちのときじゃなくて
やさしい気持ちが恋しいときに
胸に高まる何かを 感じるのじゃないかと思います


やさしい気持ちが思い出せない夜に。
やさしい気持ちを思い出したい夜に。