
さて。
3月の連休は、お伊勢参りに出かけて来ました。
桜が、1本、2本と咲く、伊勢路。
例えば、
「総本山」
としての、
荘厳なものをイメージしていたわたしですが、
聞くのと見るのとでは、大きな違い、とは、
まさにこのこと。
わたしにとってのお伊勢さんは、
「盆と正月がいっぺんに来た」
的な、
賑やかで、穏やかで、
心が浮き立つような。
風はざわめき、
空気は確かに、ひんやりとしていたけれど、
決して怖くない、厳しくない、
大らかな、
誰のことをも、
笑って見守るような。
日本においては、
古来から、
一番、「神様的」なのに、
一番、「人間的」というような。
きっと、
昔から、
こういう存在に、
日本に暮らした人たちは、
癒されて、
楽しまされて、
動かされて来たんだろうなぁと想うと、
急に愉快になって、
厳かな気持ちはどこへやら、
まるで弥次喜多の珍道中を、
地で行くような気持ちになって、
牛も海老も餅も、
たらふく食い倒れて、
それでもって、
そんな小さな幸せに、
感謝をしたら、
涙が出て来て、
笑いが出て来て、
樹齢1000年のこの袂を、
きっといつか歩いた気になって、
こうやって人は、
生きて行けるんだ、という、
確信を得た。
人生とは、
そういうものかもしれません。
輪廻というのも、
そういうものかもしれません。
小さな嵐が来て、
「巡るなぁ」
と、想ったら、
中学生の頃に歌った、
「時の旅人」
という合唱曲を思い出して、
これまた、
愉快に、
わたしは、
いつかの旅人であり、
誰かの旅人であり、
今日のわたしの旅人であり。
愉快に、
大声で歌いながら、
神様と、
「時」に、
感謝したのでした。
