金曜日、今年の出張納めでした。

出張納め…と威張るほどたくさん出張したわけではないんですけれども、
子どもいながらにしてこんなに出張できるとも思ってなかったので、
ある意味達成感あります。

朝一番のフライトで出かけて、子どもが寝る前になんとか帰ってくるみたいな、弾丸ツアーですが。

それで、仕事柄、なのだけれど、
この頃は日本各地の地方、自然が豊かな場所に出かけることが主。

それで、空港から車に乗ってぐんぐんと、あちらこちらに行くわけだけれども、
行っても行っても…人が住んでる。人の暮らしがあるのを目にする。
人が生きてるなーって、思う。

そこで、取引先の方がたにお会いする。
人が働いている。
人が働いてるなーって、思う。

全然知らない人がいる(当たり前)。
全然知らない、すごい人がたくさんいる。
地元の名士とか、お金持ちとか、地域のためにがんばってる人とか。
全然知らない会社があって、全然知らない事業をやってて、
全然知らないすごい実績があって、
全然知らない夢とか野望とかあって。

この世界を掌握しようとするなんて、全然敵わないなぁと思う。

掌握しようと思ってるわけじゃないんだけど(当たり前だ)、
でも、なんとなく、掌握してるような気になってることって、
あったりする。

例えば「地域」とか漢字にしちゃうとね、そこに全てを含んでしまって、
理解したような気になってる、みたいなことです。

こういう顔したこういう声したこういう仕事してるこういう考えしてるこういうおじさんが、
どんなことしてて、どういうことしようとしてる、みたいなことは、
さっぱり見当つかないし、つかみきれないし、
繋がった点と点、くらいです。

お互い様に。


で、弾丸ツアーの出張の帰り道は、やる気みなぎるとかそういうよりはぽっかりと、
自分のちっぽけさを思います。


あー、ちっこいなー。
ちっこいちっこい点だなー。。。


そして、
こんなちっこい点なんだから、
許されてもいいかな、
という気になります。


何をどう許してもらいたいと思っているのか。

勤勉さ 真摯さ 寛大さ 謙虚さ 公平さ
…そういったものの欠如について。

怠慢や堕落や、陰気や憂鬱など
そういった性質を、許してもらいたいという気持ちが毎日どこかにあるのです。

人に言わせれば、
わたしは深刻すぎるらしいのですが、
まぁ、毎日、自分の至らなさについて思い悩むことが多くって(意外ですか!)
右往左往しており。


それはきっと、
どれだけ自分を大したもんだって思いたいんだ!っていう、勘違いというかプライドというか、
の話、でもあるのですが、
結構マゴマゴしていて。


でもまぁ、そういう風に、飛行機でぴゅーっと行って、車でびゅーんっと行った、
明らかに自分の知らない確実な世界を目にしてしまうと、
そういうマゴマゴが一切合切、可笑しなもの、に、なりうるわけです。


あー

あー…

っという具合に。


ちっぽけな自分、大したことない自分、
そんなわたしの悩みなんて、
それはまぁ大したことない。
そんなわたしの苦しみなんて、
それはまぁ大したことない。

だからまぁさー、ぼちぼちやればいいのだよ、という風に…



この思考の「表現の」変化は、かなり大きいなと思う。


わたしが初めて外国に出かけたのは、大学1年生の夏休みだったけれど、
そのときも、「自分はちっぽけだ」みたいなことをびびびーっと感じて、
それで、その次に思ったのは、「だから、挑戦できることは無限だ」って、
いうことでした。


これは、1年生の秋学期に入りたかったゼミに提出した作文にそう書いた(気がする)から、
ちゃんと覚えていることです。


思考自体は、あんまり変わってないんだと思う。

ちっぽけということは、
大したことないということは、
その罪も業も
世の中に大した影響を与えるものではないということは
つまり、
何をしてもいいということ。

で、
それを、自由と捉えていること。


で、その自由を、
ゆるっとした解放とするのか、
はたまた、
ぱりっとした解放とするのか。


あのときとこのときとに、
16年の歳月が加わって、
いろんな変化があって。

でも、
感じることはあんまり変わってないっていうのは、ホッとする。
でも、
表現が変わってくるというのは、ドキッとする。


同じ人と話していても、同じことばが吐き出されていても、
その背景にある気持ちは、その時々で、複雑に変わっているんだなって、思う。


子どもの心を忘れないとか、
いつまでも若々しいとか、
例えばそういうことが、
こういうことにあるのかなって思う。


同じ事象を捉えて、どう思うかということを、
一つずつ思い出してみると、
自分が変わったこととか変わってないこととか、そういうのが見えてくるのかもしれない。


どっちがいいとか、悪いとかじゃなくってね。


ちっぽけな自分、ということに気づくことは、
いずれにしてもわたしを、生きやすくすると、思います。