自分が行方不明問題の原因は、
自分の欲求がわからなくなり、かつ、興味をもってワクワクしたり、ドキドキしたりっていうことが、
ほとんどなくなってしまっている状況にあります。

たぶん、極端な話をすると、「子どものことにしか関心がない」という状況にあること…

何が食べたいのか(←食いしん坊的に重要)なんか、
本当に特にわからないし(でも、何か食べたいから、それがピシッと見つからなくて若干イライラする…)、
何が着たいのかも、何がしたいのかも、何を話したいのかも、
自分目線では特に興味がなくって。


「趣味はなんですか?」みたいな質問が、今の状態、一番キツイ。


強いていえば、子どもの日々の成長を感じること…
子どもの話し方を真似したり、子どもが今日できたことを喜んでみたり。


そ、それって、趣味なのか?


もう10年以上続けているヨガも、最近ではレッスンには行けていないし、
観劇やコンサートにもほとんど行けていないし、
本もそれほど読んでいない。
嵐(←)の番組もまったく見ていない。(今年のライブは落選しました…)
フランス語の勉強も、中国語の勉強も、全然していいない。

仕事に関する趣味的な勉強も、あまりしていない。
ビジネス書も読まないし、
マーケティングのことも、広告のことも、コミュニケーションのことも、
職場にいるとき以外には、ほとんどまったく考えていない。


お菓子作りもとんとしなくなってしまったし、
裁縫だって、ミシンもしばらく出してない。


旅行にも出かけてない。



つまり、「自分がとってもつまらない人間になってしまったのではないか」ということに行き着き。


特に会社やFacebookや、時どき出かけるランチや飲み会などの場面において、
いわゆる「趣味」のようなものを追求している人のことを見聞きしたり、
その人たちの生き生きした「軸」「こだわり」みたいなものに触れるたびに、

「あれ、なんだか自分って… 何もない!?」

と、空っぽな頭や胸の内を、ぐるぐる…

しかも、そういう場で子どものことを積極的に話したいというわけでもないし、
そのこと自体を微妙だと思っているのもまたタチが悪く。


まわりの人たちと共有できるものが、何もない!


こんなわたし、飲み会に誘ってもらっても、面白くないだろうな…って、自信をなくしちゃって。
(誘われる気なのか!)



そう思って、何だか気持ちの悪い、
皮膚が浮ついたような、変な感覚を持ちながら、
半年ほど社会生活を送ってきたわけですが。


この頃少しずつ、気付いてきたのです。


結局、なんだかんだ疲れ果てようが、
「それ以外のこと」に憧れようが、
或いは、「過去の自分」を羨むように懐かしもうが、
子どものことを考えたり、振り回されたり、いちゃいちゃしたり、
そのことで家族と話し合ったり、
あれやこれやの形でもって、子どものことに向き合っている時間が、
一番、刺激的だったりする…


(家族以外の人と)共有できないのは悲しい、寂しい、つまらない。
そうなんだけども。

それでいいじゃないの、と。


そしてこんな「内にこもった」趣味に没頭する時代は、
きっとそう長くは続かないのだろうと、
自覚し始めてもいて。
(男子である坊ちゃんは、すでに母親をウザったく感じていらっしゃるような雰囲気もあり…
あながち被害妄想もなさそうな!?)


期間限定の、超コンセントレーション!な趣味としての、
子どもとそれに関わる苦労や楽しみやドタバタ群。


不思議なことに、
こんな感じの割り切りができてから、
少しずつ自分が取り戻せつつあるような気も…


逆説的ですね。


子どもが足かせなんじゃなくって、
子どもがいなかった状態の自分を求めて「自分行方不明」にするんじゃなくって、
もう、子どもがいる自分がデフォルトで、
子どもがすべて!みたいな気持ちをもった自分が自然で。

そのことは、ちょっと社会一般的な趣味とかとはちょっと違っていて、
みんなに面白おかしく話せるような、
或いは、「そうなんだ~」って、納得してもらえたり、「すごい!」と言ってもらえたり、
「そうだよね」って共感してもらえたり、
それでもって自信をフィードバックしてもらえるようなコミュニケーションは
なかなかできないかもしれないけれど。


(その辺は、この「趣味」を理解してもらえるはずの家族、主にオットに、がんばって相手してもらいたいところ…!)


スタートラインを定義し直すと、
あがく気持ちが整理されていく、というのでしょうか。


自分行方不明問題と、
その解決のしっぽを掴む日々のぐるぐるについて
続きます。