青山にあるこどもの城、ならびに青山劇場が、2月1日で閉館します。
30年間、のべ2800万人以上の利用があったそうです。
毎年、毎月、毎日入れ替わるこどもたち、親たちを受け入れ、受け止め、育んできた素敵な施設。
惜しい、悲しい、悔しい、行き場のない気持ちで悶々としています。

閉館の経緯や、巷の声などは、NAVERまとめ有志の会の方のサイトなどを参考に…

老朽化、耐震性、予算…
その真相はどうなのでしょう。
今後について、どこを探しても情報は出てこないし、個人的に知る由もないのですが、
もし、この「超一等地」が、商業施設やマンションといった「目に見えて短期的に儲かるもの」になりかわるのであれば、
この国は、精神的に貧しいのであると、ひどく幻滅し、落胆してしまうそうです。

わたしは、自分が子育てに携わったこの1年弱しか利用していませんが、
こどもの城に、とてもとても救われたので、
この想いを、閉館前になんとか書き残しておきたかった。

でも、赤ちゃんが寝ている合間を縫ってとか、ちょこちょことしか書けず、
何だか支離滅裂になってそう。読み返す時間もないので、書き繋いでおります。
書くことに意義があるということで。

今も眠る息子を背中におぶったままなんとか…カキカキ。

わたしがお世話になったのは、親子向けの講座と、それから、「街」へ出かけた際の、「駆け込み寺」というか「ドッグラン的活用(語弊があるかな…)」というか「母と子の平和的共存のための場」というか…そんな感じで。

親子向けの講座には、本当に感謝でいっぱいで、
ここには書ききれない(書くことに意義があるとか言いながら…)くらい!!

わたしが「親になっていく」過程の、土台を築いてくれた、
本当に本当に大切な時間を与えてくれた、
かけがえのない機会でした。

週に1回、子どもが6ヶ月~8ヶ月の3ヶ月間、朝10時からの講座に通い続けました。
皆勤賞で!

「朝早い時間に、自分の支度と子どもの支度を済ませ、予定の時間にきっちりと出かける」
という、出産後、なかなかできなかった普通のこと、普通の生活のリズム。
連日の夜中の授乳、夜泣き対応で、朝眠くて仕方ない状態でも、
とりあえず起きて、よそ行きの服に着替えて、メイクもして、
うんち漏れ騒動で朝から洗濯に奔走しても、
「何事もなかったように(!)」背筋をしゃんと伸ばして出かける。
(今思えば、離乳食もまだ1回程度だったので、食べさせずにバタバタ出かけたりと、必ずごはんも与えなくてはならない今よりずっと楽だったのだけれど、それもこれも、時間とともに慣れてきただけで、その頃は本当に大変だった。)

たったそれだけのこと。

でも、たったそれだけのことが、できたこと、やりきったことが、
お出かけの訓練になって、自信がついて、楽しくなって。

講座に参加されているママさんたちとの、毎回のランチも、とっても気持ちよくて、
いい気分転換だった。

年齢も、子育て経験も様々だったけれど、育休中のママさんも多くて、
気になっていることを相談してみたり。

3ヶ月間、同じ母子に会い続けていると、変化や子どもの成長を
お互いに感じられ、シェアできて、
あんまりよく知らないけれど(!)、すごく近しい気がするという、
不思議な関係にもなり、居心地がよくなり。

講座には子どもの運動や発達の先生たちがついていて、
毎回、成長のことや遊び方など教えてくれるのだけれど、
先生方も、はっきりと、
講座の真の目的は、実は「お母さんたちを外の連れ出すこと」と仰っていた。

出産後、引きこもりがちなお母さんたちを外に連れ出して、
元気に外出してもらって、「ママ友」を作って、支え合って、
子育ての最初のステージを楽しく軌道に乗せて欲しいと。

子どもの元気は、お母さんのヘルシーがあってこそと。

…まんまと?その目的に乗っかったわけです。
乗っかって、よかったのです。

そして、「すくすく」子育てのための、ありがたーいお話も、たくさん聞けた。
たぶん、これからもずっと、この講座で学んだこと、感じたことは、
わたしの、子どもとコミュニケーションする際のスタンスとして、核になると思う。

具体的には… やっぱり書ききれない!
心のノートに、いっぱい、いっぱい。。。

ひとつだけ、ここにシェアすること。

「赤ちゃん(子ども)は宇宙」

という、考え方。

赤ちゃんは宇宙だから 宇宙の大きさを持って生まれてくるから
地球でうまく暮らして行くために、
そのサイズになんとか自分を合わせようとしている。
だから、これから育っていく中で、宇宙の大きさを、どのくらい残して行けるか、
残して行けるように、見守っていけるかという考え方。

例えば、体の成長ひとつとっても、あれこれ練習する必要はきっとなく、
子どもの興味や関心に従って、自然と伸びる手、動く足腰を、
手助けして行くというか。クリティカルな危険がないように見守っていくというか。

わたしの解釈では、
大人(=わたし)のつまらない尺度、ささやかなスケールに、
子どもをはめてしまわないように。

成長の段階、スピード、気になる。
買い与えるもの、聞かせるもの、見せるもの、気になる。
他の母親がやってること、父親がやってること、気になる。

でも、それは全部、大人が決めたことやもの。

「保護者」の影響は、決して避けられるものではないし、逃れるのに限界がある。
赤ちゃんの呼吸するライフスタイルが、そのもの、親のものだから。

でも、そういう最低限というかあらかじめ存在する環境の中で、
どうやって、子どもの宇宙を保っていけるのかな。

きっと、永遠のテーマであり、
でも、シンプルな実践でもあると思う。

子どもに対して、つまらないこと言ってないか、やってないか、って、考える。
子ども<大人では、決してないことを、自覚する。
子どもを、いつも、よく見て、感じて、子どもの好きなもの、やろうとしていることを知る。
そうして、必要な手助けをする。

大切なことはシンプルだ。
そして、とても気持ちがよく、自分自身も解放される。
だって、「答えは、子ども自身の中にある」のだから。

親だから、こうでなければならないとか、
知っていなくてはならない、与えなくては、教えなくては、と
自分自身をがんじがらめにする必要も、ない。

その代わり、子どもをよくよく観察し続けるのです。

きっとこれから、年齢を重ねて、思春期やら反抗期やら難しい時期が来たとしても、
基本的なことは、変わらないんじゃないだろうかと、
想像したりも、できるのです。


それから、
講座では、毎週、A4の紙に、この1週間の自分のこと、子どもの様子を書いて
提出したのだけれど、書いたことに対して、声を掛けてくれて、個別にアドバイスをくれたり。

小さな悩みの一つ一つ、それが積み重なって、埋もれそうになるときに、
ぽっと救ってくれる人がいること。場があること。

先生たちは、こどもの城で、20数年、ずっとこの講座をやっていたそうです。
20数年、一体何組の母子を見続けてきたのでしょう!!計り知れない。
時代の変化、社会の変化、そんな中でも生まれ続ける、新しい母と子の無数の組み合わせ。
子どものプロであり、さらには、自分たちも子育ての経験があって、
個人的な失敗談やよかったことなんかも話してくれて、
ナントカ理論とか、ナントカ式とか、そういうのは全然出てこないんだけれど、
いつも、その場には、大きな安心感が漂っていた。
そして、ほんわか柔らかい空気…というよりは、
いきいきとした快活な感じが、わたしは好きだった。

東京には、習い事とか、知育的な講座とか、ママサークル、ママカフェ、
お母さんたちを外に連れ出し、ママ友を作り、何かを教えてくれたり共有したりという
似たような場がたくさんあると思う。
でも、たくさんあっても、「自分(たち)のための1つ」を見つけ出すのは、
結構難しい。
お金もかかったりするし、そのピンキリの見極めも。
そもそも情報検索さえ、その時間を見つけるのも大変…

わたしは、赤ちゃんが4ヶ月になりたてで、外出もヘタクソだったとき、
たまたま、こどもの城の赤ちゃんのための遊び場(ぽかぽか広場、という)に
誘ってくれた友だちがあって(ありがとう!)、
そのときに、講座のチラシを手にしたのだった。

中に入ったときの空気感とか、様々な子どもの専門家が詰める場所ということで、
「こどもの城」なら大丈夫、という漠然とした安心感や、
赤ちゃんと一緒に体を動かすという、講座の楽しそうな内容・雰囲気、
なるべく自然な感じの遊び方をいろいろ知りたいなぁと思って、
それで、えいや!と飛び込んだ。
(正確に言うと、事前にちょっと悩んだのだけれど… 
ママさんたちとの毎回のランチとか、やっていけるのかな、うまく馴染めるのかな、
という心配がよぎり。)

飛び込んで、本当によかった。

子どもが生まれて、母として、新しいことに挑戦しなくてはならないとき、
が度々やってくるのだけれど、
こどもの城の講座については、
えいっと挑戦した先に、いいことがあった。それって、最大のリワード。


先生たち、出会えたママさんたちに、本当に本当に、感謝しています。


そして、
「駆け込み寺」的活用…については、NAVERまとめにもあるけれど、水道橋博士がtwitterで指摘しているのが、ドンピシャ。


「区の児童館が整備されたら渋谷の「こどもの城」は不要になるという考えが浅いし当事者の発想ではない。終わりなき子育ての日常の中でママにとって外出先、都会の渋谷は「ハレ」の場所であり、息抜き、気分転換の空間。そこに子供の施設があるから休息と意味があるのに。」


すごく、実感がある。


育休中、ただ家の中にいて、家事をしながら子どもをあやして…というルーティンの毎日ではやりきれないことが分かってきた。
自分自身が孤独を感じるとか、24時間体制の育児に眠くて疲れてつらいとかいうのは、
そのうち慣れたり乗り越えられたりした感覚だけれど、
そういう「特別なこと」だけじゃなくて、
「普通に」外の空気を吸って、「普通に」暮らしたいというか。

普通…語弊があるかもしれない。
そうであれば、「豊かに」でも、いい。

例えばすごく仕事で忙しいときも、時々は外に出てコーヒーを一杯。ってこと、ある。
それって、普通かもしれないし、豊かかもしれない。

それに加えて、子どもが活発に動くようになってからは、
毎日、家ではないどこかへ出かけて、新しい物に触れさせたり遊ばせたりしないと、
親だってネタ切れ、子どもだって刺激がなくって煮詰まるようになってきた。
それで、地域の児童館に足しげく通うわけだけれど(我が子はまだ「あんよ」しないので、公園へはあまり行かないけれど)、同じ場所に毎日毎日出向くのも、結構ツマラナイものだ…!

ツマラナイ、は、宣戦布告では全然ない。
児童館は児童館なりの目的があり、公園は公園なりの目的があり、
そのどちらでもない目的に向かいたいときもある、っていう、ただそれだけのこと。
「(母親には)とりあえず子どもを遊ばせる場所があればいい」というものじゃないと。

(胃を満たすのに、毎食毎日同じ物…例えば、白米とわかめのお味噌汁と鮭、
それはそれで美味しいけれど、時々はおかずに鯖の味噌煮とかハンバーグとかも食べたいよねとか、そもそも白米じゃなくってパスタの気分とか、そういう。)

場所にもバリエーションが欲しいし、違ったコミュニティも覗きたいし、気分転換もしたい。
子どもを遊ばせて、その傍らで見守るとか、親同士で喋るとか、そういうのだけじゃなくて、
子どもにも刺激やリラックスを与えながら、自分も、ちょっと甘いもの食べたいなとか、ファッションをチェックしてみたいなとか、アートを楽しみたいなとか。
単純に、「ママ事」だけに集中したくない気分のとき、ある。


もっと楽しい言い方をすれば、赤ちゃんとデート!している気分みたいな、
そういう楽しみ方も、したい。
どっちかがひどく窮屈で我慢しなくちゃならないってことが、ないような。

青山界隈は、大人のキラキラがさっと体感できる素敵なところ。
そんな場所に、入館料500円で一日出入りができて、
子どもを自由に動き回らせたり、地べたに座って離乳食を広げたり、
オムツを替えたり授乳をできたりする、子どもにとっても「安全な場所」があることで、
以前にも増して、「なんて懐の深い本物の街なんだ~!」と感激し、
愛着も、憧れも、そして訪れる回数も増したのでした。

いいとこだ、表参道。いいとこだ、渋谷。いいとこだ、原宿!
そんな風に、すごく思っていた。

それもこれも…終わってしまうのだなぁ…。

「普通」になってしまうなぁ…。

これからの子どもや親たちが、こどもの城を経験できないのは、
残念なことだなぁ…。

寂しいなぁ…。

子どもがもう少し大きくなったら、もっともっと遊べる施設やイベントが
たくさんあったのになぁ…。

寂しいなぁ…。


寂しい。


この「東京砂漠」で、それぞれに子育てをする親たちの、ひとつのオアシス。
新しい場所が、これからどこかにできていくのだろうか。
失われたままになってしまうのだろうか。

「少子化対策」とは、お金のことだけじゃない。キャリアのことだけじゃない。

場づくり、街づくり、文化づくり、人づくり、国づくり。

一人の母親の気持ちは、
たった一人の子どもを育てるわたしの気持ちは、
とってもとっても小さいものだという自覚はあるけれど、
そんな一人ひとりで、国はつくられていくのです。

寂しさと感謝と。

つれづれ。

ずいぶんと長くなってしまった!!
いつか読み返したら、恥ずかしいかもしれないな。

数日間書き繋げました。
最後は、「遊んで」とつかまり立ちしてスカートを引っ張る息子が傍らに。
今日の東京は雪で、ベビーカーでも抱っこ紐でも、寒くて危なっかしくて、
外出もままなりません。


愚図ったりしながらも、なんとかブログを書く時間をくれて、ありがとう。
さてさて、遊びましょ。

これからのわたしたちを、これからは誰が見守ってくれるかな。
誰に見守ってもらいたいかな。
漠然と、考える。

東京で子育てする大人と子どもが、健やかでありますように。
新米ママさんたちが、明るくテイクオフできますように。
これから、繋がっていけますように。