センチメンタルな季節といえば、
秋、とか(恋をしたくなる)
冬、とか(一杯のかけそばとか?)。

どちらかというと、気温が低い季節のようなイメージ。

でも、これはあくまでも、イメージで。

よくよく振り返ってみると、
自分の人生の中で、真にセンチメンタルなのは、
いつだって、春だった。

はじめて制服を着たり、
友情が、恋にかわってしまったり、
転校をしたり、
受験をしたり、
お酒を飲んだり、
家族が離れていったり、
世界を感じたり、
スーツで満員電車に揺られたり、
一人暮らしを始めたり、
父が定年退職をしたり、
見知らぬ街に住んだり。

そして、わたしが毎年、年齢を重ねるのも、この春なのであって。

このところ、
非常に涙腺が緩いのは、
こういう季節のど真ん中に自分が立っているからだと、
認識する。

花粉が飛び交うのと同じくらい鮮明に、
わたしの目に、心に、センチメンタルが届いてくる。

音楽を聞いては泣き、
テレビを見ては泣き、
CMにさえ涙する、このごろ。

そして、
明日を考えては、切なくなり。

いくつになっても、春はわたしにとって、意味を持ち続けるのだろう、と思う。

それは、
春生まれの、宿命。

きっと、
生まれ変わる、節目だから。

そんなわけで、
今日は、加藤登紀子さんの「時には昔の話を」を聞いて、涙を流していました。

わたしはまだ、明日を探していて、
でもこの時代が空しいとは、誰にもいえない