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電車とか、駅とかで、黒丸やら三角やらがついた、プリントアウトのシフト表を、じっと見ているひとに会う。

パートタイムのおばさんか、
工事勤務のお兄さんか。

シフト表のある人生と、
ない人生。

何がどう、違っているだろう。

今読んでいる、茂木健一郎さんの本に、
養老孟司さんのことばを引用した一文があった。

「予定の入ってしまった未来は、現在と同じ。」

ふと、電車の光景が、よぎる。

そんな人たちのシフトがあるから、守られているわたしたちの安心とか便利とかもある一方で、
それは明らかに誰かの、そしてわたしの未来(すでに現在と位置づけられる)が規定されているのか。

スナフキンに魅力を感じていた思春期の自分は、
無意識の中に、知っていたのではないか。

この、常識的な社会に生きる自分の未来が、むやみやたらに光り輝くはずがない、理由を。

…じゃ、未来日記は現実なのかな。
なんて、ぼんやり思考。
シフト表がないわたしの日常。
輝く「フレックスタイム」。

おや、1ヶ月、2ヶ月先まで、会議の予定が入っています。

1年と3ヶ月先の反省会まで。

わたしはどこで上手く、未来らしい未来を楽しもうかと、
あぐねはじめた。