夏は光 月は東に 姫は北 川に桃落ち 米ぞ実りぬ 視神経午前2時   (雅没徒第2番イ長調 hp.236) -22ページ目

夏は光 月は東に 姫は北 川に桃落ち 米ぞ実りぬ 視神経午前2時   (雅没徒第2番イ長調 hp.236)

神:吉田光里(研修生36期)
仏:中山夏月姫(ocha norma)
聖:清野桃々姫(BEYOOOOONDS)
仙:米村姫良々(ocha norma) 
レジェンド
安倍なつみ 石村舞波 工藤遥 福田花音 田口夏実 北川莉央 楠萌生

毎年この時期は東へ西へのライブ参戦
なんですが 今年は・・・・
 
さて2005年 というと15年前
10月2日に石村舞波が卒業して
7人になったBerryz工房の
9枚目のシングルが

2005年11月23日発売
映画 ふたりはプリキュアMax Heart2 

~雪空のともだち~ テーマ曲でした

 

イ長調なので階名と音名がずれるわけで

移動ドで習った世代はいいけど

固定ドで習った世代は混乱するかも

ソラシドねぇねぇ みたいに

ハ長調なら問題ないんだけど

 


2005年のハロコンは 

紅組と白組に分けて開催されました。
1月3日夜の紅組が幕開けですが 

このチケは落選
でも青春18を使って会場推しに行きました。
http://d.hatena.ne.jp/maiha002/20050103

翌日朝の白組は

1列というおいしい席が来ていたので
前日の夜には東京へ行っていたほうがいいし
多くの人にも会えて

新宿でのオフ会にも参加できたし
なかなか会うことのできない

北海道の人にも会えたり
いろいろと収穫はあったんです。
紅組のほうには参戦する予定がなかったので
ネタばれも気にしなくていいので気楽でしたね。
で だいたい カラオケコン 

ってのはわかったけど
白組もそうでした。
(でも誰が何を歌うのかは見るまでわかりません)
思えば2005年のハロプロのライブは
ほとんどがカラオケコンでした。

年度が変わって

4月2日は千里セルシーの握手会
4月9日に名古屋でもあったんですが
この日は大阪城で娘。コン なので
1週前の大阪に行かざるを得ませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/maiha002/20050402

 

6月4日は Zepp Nagoya で 初単独まるごと
http://d.hatena.ne.jp/maiha002/20050604

7月10日は大阪城のハロコン
このとき りしゃこ欠席で
大役?が舞波に回ってきました。
http://d.hatena.ne.jp/maiha002/20050710

 

8月7日は 愛知厚生年金で HIGH SCORE!
http://d.hatena.ne.jp/maiha002/20050807

9月19日は 愛知厚生年金で スイッチ ON
http://d.hatena.ne.jp/maiha002/20050919
ステージでの舞波を見たのはこれが最後でした。
ライブの後の監獄でのオフ会も楽しかった

名古屋でやってるのに

半分くらいが九州の人 ってのも・・・

 

 

 

いちばん新しい時代にあたる

平成後半から令和(2004年~2020年)は

高石北斎が担当することになりました

 

2004年というのは

ネット社会にとってもハロプロにとっても

状況が大きく変化した年です

この年 モーニンフ娘。からは

なっち のの あいぼん が卒業し

ハロプロキッズから

Berryz工房が結成されて

3月3日にメジャーデビューしました

そして4月28日には早くも

2枚目のシングルが出ました

この曲で Hey×3 にも出演しましたね

現在はむしろc/wだった 夏わかめ のほうが

よく歌われてるかな

 

さらに5月には3枚目のシングル

すごいペースでしたよ

 

あいぼん と のの は

5月に W(ダブルユー)としてデビューし

8月1日に娘。を卒業し

8月10日からは

WとBerryz工房で Wスタンバイ

というジョイントツアーを行いました

 

 

この年の参戦記録

1月17日 夜 名古屋市民会館(ハロプロ)  
2月5日  愛知勤労会館(飯田圭織握手会)
2月11日昼  三重県文化会館(さくら組)
2月11日夜  三重県文化会館(さくら組)
2月28日 夜  滋賀県びわ湖ホール(さくら組)
3月6日昼夜  愛知県芸術劇場(おとめ組) 
3月20日夕   名古屋オアシス21(中澤裕子)
3月20日夜 名古屋ダイヤモンドホール(メロン記念日)
3月21日昼  名古屋オアシス21(後藤真希) 
3月29日  愛知勤労会館(Berryz工房握手会)
4月3日夜   大阪城ホール(モーニング娘。)
4月17日夜   名古屋レインボーホール(モーニング娘。)
4月18日夜   名古屋レインボーホール(モーニング娘。)
4月24日夜  大阪厚生年金会館(後藤真希) 
6月12日夜  大阪厚生年金会館(安倍なつみ)
7月17日夜  名古屋市総合体育館レインボーホール(ハロプロ) 
7月18日夜  名古屋市総合体育館レインボーホール(ハロプロ)  
7月24日    大阪城ホール(ハロプロ) 
8月10日昼夜 市原市民会館(W&Berryz工房)
8月17日夜 愛知厚生年金会館(W&Berryz工房)
8月29日夜 名古屋国際会議場(なっち)
8月31日   東京よみうりランド(Berryz工房イベント)
9月4日夜  大阪国際会議場(W&Berryz工房)
9月23日 福井サンドーム(娘。コン)  
9月26日 名古屋国際会議場(ごっちん)
10月3日 なら100年会館(なっち)  
10月17日夜 名古屋国際会議場(娘。コン) 
10月30日夜 大阪城ホール (娘。コン) 
11月3日夜 名古屋国際会議場(あやや)
11月14日 豊田スタジアム(スポフェス) 
11月20日 びわ湖ホール(娘。コン)
11月23日 名古屋ナディアパーク(Berryz工房握手会)
12月23日 大阪なんばHatch (中澤裕子) 
12月26日 愛知厚生年金会館(メロン記念日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年の4月29日は 

平成最後の昭和の日

と騒がれてましたから

昨日は

令和最初の昭和の日

だったはずなんですが

そんなに騒がれなかったですね

 

昭和の時代に4月29日は

天皇誕生日 と呼ばれていたんですが

平成に入って みどりの日 

と呼ばれるようになったんですが

いつのまにか 昭和の日 に変わりました

 

昭和の時代には

スマホや携帯電話はもちろんなくて

パソコンもまだまだ高価

CDが出てきたのも終わりころ

アナログレコードも高かったから

ラジカセバカでかい音で

鳴らしてた人が多かった(w)

J-POPなんて言葉もなくて

ニューミュージックなんて呼ばれてた

 

たぶん従来の演歌や歌謡曲に対して

フォーク ロック など

総称していたのかもしれないけど

それより前の時代だと

クラシックに対して

ジャズ ロック フォーク などを

軽音楽とかポピュラーとか呼んでいて

歌謡曲っぽいものがポップスと呼ばれ

日本人がやってるのをJ-POPと呼ぶようになった

だから ポップってどんな意味

と言われても

使う人によってニュアンスが違う

としか言いようがないと思う

 

 

ジャンルとしてはロックなんだろうけど

そんなにハードではなく

独特の味わいがありました

1989年だから平成元年の曲だけど

1995年にバンドで初めてとりあげた曲で

ベースを弾きながら

上ハモリ(真島のパート)を歌ったんですが

ギターと違ってベースは

弾きながら歌うのが難しかった

 

 

 

やはり平成元年の曲で

これも歌詞がいいです

ブログタイトルにも入ってます

 

♬今までの君は間違いじゃない

 

ってクイズの問題にもなったことあるけど

インパクトの強い説得力のある言葉です

でも今あらためて考えると

間違いじゃないから正しいわけでもないし

正しくないことが間違いでもない

そもそも正しいとか間違ってるとか

誰にもわからないことじゃないかと思います

 

 

年号が昭和から平成に変わって

消費税のことが話題になりましたが

物品税が廃止されて

オーディオやパソコンなどは

安くなっていったんです

 

 

 

 

 

 

なぜか 汗飛ぶ風凛 が

いちばん古い時代を担当することになりました(w)

昭和時代は世界恐慌に始まり

第2次世界大戦の敗戦から復興し

高度成長を経てバブルの直前で終わる実質62年

1926年から1989年までです

 

 

60年安保から70年安保までの10年間

高度成長の時期でもあり

日本の進む道もまだ定まっていなかったので

両方の勢力がいろんなところで激突してました

三井三池の労働争議もありました

東大安田講堂攻防戦もありました

デモ 封鎖 ストライキ

日本にもそんな時代があったんです

公害も激しかったですね

衛生状態だってそんなによくない

ノスタルジー美化して語られることが多いけど

実際は大変な時代だったんです

マスコミもはじめは民主勢力寄りだったんですが

大学紛争が激化するころから政府よりになりました

♬ 飛行機乗っ取り 革命叫び

  血と汗にまみれること

  あ~ それが青春

 

この部分 シングルではカットされているのかな?

 

そもそも革命をするのに

飛行機を乗っ取る必要はないわけで

すでに 革命=悪 というステレオタイプが

形成されていたのでしょう

 

 

よくキャンプファイヤーなどで歌いましたね

イ長調はギターの開放弦が多いので

弾いていて気持ちがいいんです

 

これが70年代になると保守的な歌詞になってしまいます

♬帰れない 何があっても

ってのは

お国のために死ね 生きて戻るな

という戦前の思考と同じではないか

喜多條の

♬どうしてもだめだったら帰っておいで妹よ

というのはこの曲へのアンチテーゼに思えた

体制にとりこまれた北山と

あくまでも武闘派だった喜多條の違いを感じた

 

 

 

 

もしかして安田講堂の敗北は

エンドレスな資本主義社会の始まりだったのかも

 

 

昔のカラオケは文字追いテロップなんてなかったけど

歌詞を見ないで歌える数少ない洋楽でした

 

 

CCRの曲の中でも有名なものだと思うけど

意外にもシングルになってないんですね

どうやらカバー曲らしい

 

 

 

180℃ というと

水の沸点より高く

濃硫酸の沸点より低い

この温度を

高い と考えるか

低い と考えるか

 

中国から入ってきた例の感染症に対する

政府の対応は

オリンピック延期決定の前と後で

180° 違う

 

中国で大騒ぎになってるときは

中国からの入国を制限しなかったのに

いまや全国に非常事態宣言を出して

国内のあらゆることを制限してる